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『激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972』 池上彰 佐藤優

全共闘=民主主義ではない!?



なぜ、新左翼は過激な行動を取るようになったのか。衰退の要因を探る

本巻は60年安保の60年から、あさま山荘事件の72年まで。国民と連動していた60年安保から68年の全共闘を経て、新左翼のセクトは過激化し孤立を深めてしまう


1.60年安保闘争とブント

60年安保闘争で大きな役目を演じたのが、共産主義者同盟(ブント)。日本共産党の指導を受ける「全学連(全日本学生自治会総連合)」から飛び出して1958年に結成された
1956年のスターリン批判とハンガリー事件から日本共産党は動揺しており、デモ・ストライキすら及び腰への不満からで、「マルクス・レーニン主義」を堅持しつつも革命は大衆運動からしか起こせないと、かなりルーズな組織だった
その中心人物が後に経済学者・青木昌彦で、姫岡玲治・名義で書いた論文が理論的支柱となる。主な結集者が、文学者・柄谷行人、安保闘争で死亡した樺美智子保守系の思想家・西部邁、政治評論家・森田実平岡正明
60年の時点では、ブントが全学連の主流派となり、共産党の民青は脇に追いやられ、「極左冒険主義」と足止めする立場となる

その一方で、スターリン批判からトロツキーを再評価する「日本トロツキスト聯盟」→「革命的共産主義同盟(革共同)」が生まれ、そこには後に核マル派の指導者となる黒田寛一、社会党への加入戦術をとる上田竜がいた
日本をブルジョア革命を達成していないとする講座派(日本共産党)と違い、日本をすでに先進国としていきなり社会主義革命を目指せるとする労農派という点で、社会党と新左翼は一致しており、党員の少ない社会党は安保闘争に新左翼を動員することができた
とはいえ、社会党は平和革命路線であり、自衛隊のような近代軍を火炎瓶闘争で勝とうというのは、ロマンにもほどがある。そこで日本で政権をとってワルシャワ条約機構に加盟する戦略を持っていた
もっとも労働組合出身の社会党議員たちは、自民党と国対で渡り合ううちに、3分の1を確保しての憲法改正阻止で満足してしまったようだが


2.セクトと全共闘方式

60年安保闘争は結局、改正を阻止できず、革命の端緒も作れず、新左翼にとって敗北だった
学生の集まりだったブントはその後の方針を巡って解体し、以降は様々な団体が乱立していく
安田講堂へと続く大学闘争は、1965年の慶應義塾大学から始まった。学費の値上げ反対に米軍の研究費を受け取ったことが問題となり、早稲田大学でも値上げ反対の運動が起こる
そこで取られたのが「全学共闘会議」方式と言われるものので、単に学生自治会で行うと普通のノンポリ学生は過激な抗議活動を敬遠するので、“革命意識”の高いセクトの学生が連合して「共闘会議」が組織された。日大や東大でも共闘会議が組まれ、中心的存在となる
そこでは戦う意志のある学生が「前衛」として指導していくので、近代の代議制=多数決で決まらず、声が大きく拍手の数で決める1930年代の翼賛政治であり、全体主義に近い体質があったという
今では左翼とリベラルが同じもののように語られるが、本来のリベラルは自由主義であり、左翼は民主主義にすら拘泥しない党派が主流というのがポイントだ


3.セクトの内ゲバと武力闘争

本書では連合赤軍事件よりも、それに至るエスカレーションを細かく検討していく
各セクトが戦闘的になったのは、1967年10月に機動隊との衝突のなか、京大の学生が亡くなったことから。そこからヘルメットに角材(ゲバ棒)というスタイルが定着する
セクト間の大学の主導権を巡る内ゲバも深刻化し、それぞれが縄張りのキャンパスを持ち、違うセクトの人間が近づけば、バールで足を折って活動不能にする。佐藤氏は特に中核派について、左翼というより任侠団体、愚連隊の系譜ではという
そうした内ゲバの経験から、革命のために殺人を正当化する論理が生まれていく。1970年8月3日池袋駅の中核派のデモを通りかかった革マル派の学生が殺される事件があり、行動の中核に対して理論を重んじる革マル派は「革命的暴力論」を打ち出した
70年代でも安保や沖縄返還問題、成田国際空港建設を巡る三里塚闘争など世間の支持や同情を得られる部分はあったものの、その過激さからついていけないと見放される
いつしか、学生運動することが、社会からのドロップアウトにつながるような印象すら与えてしまったのだ

970年以降は中核派の警察やその家族を狙った殺人事件が多発し、関西では京大経済学部助手の滝田修京大のグラウンド内で軍事教練を行い、社会の中で一人で戦えるパルチザン育成を目指した
もはや、政治運動どころか、テロ組織へと化していく
関西で滝田の影響を受けた、関西ブントの塩見孝也や田宮高麿などは「共産主義同盟赤軍派」(赤軍派)を結成するが、大阪や東京の蜂起作戦に失敗し、海外に拠点を作るためによど号ハイジャック事件を起こす
一方で日本共産党の神奈川支部に所属して、除名された中国派のメンバー「日本共産党神奈川県委員会」(革命左派)を設立。毛沢東主義の集団なので、もともと武器の使用を厭わない
赤軍派は、反スターリンのトロツキストで本来は思想的に水と油。ただ、革命左派が赤軍派の資金を、赤軍派が革命左派の銃を欲しがるという打算が生んだ連合だった。そして、内ゲバも同志間の総括という一線を越えてしまい、新左翼へのシンパシーを葬ってしまった


4.新左翼運動の欠陥と左翼思想の限界

フランスの5月革命が男女平等の進展など社会的な成果があったが、日本の新左翼運動ハイジャック事件から空港の警備が厳重になったこと、テルアビブ空港乱射事件が現代の自爆テロの魁となったこと、政治運動に対する意識が後退し“島耕作的なノンポリの出世主義者”を生み、ひいては新自由主義への下地を作ったこと、とマイナスか微妙な影響しか残していない

とはいえ、左翼の政治指導者やセクトの理論家、設立者たちは知的水準は高かった。にもかかわらず失敗した原因は、佐藤氏によると、左翼思想の根幹に問題があって、「始まりの地点で知的であったものが、どこかで思考停止になる地点がある」という。それはおそらく、人間観の問題で、「人間には理屈で割り切れないドロドロした部分があるのに、それを捨象して社会を構築できるとすること、その不完全さを理解できないことが左翼の弱さの根本」と指摘している
そして、なぜ内ゲバにまで至ってしまうのかというと、「閉ざされた空間、人間関係の中で同じ理論集団が議論していれば、より過激なことを言うやつが勝つに決まっている」(池上)
国家権力を相手にすると、あまりに存在が大きくて全体像が見えないので、権力そのものより、それに迎合する身内が敵に見えてしまう。左翼最初の内ゲバは戦前の共産党による「社民主要打撃論」(社会ファシズム論)で、先に異端を潰さないと革命は達成できないという方向で権力闘争に走ってしまう


5.堕落のススメ

佐藤氏はそれを克服するために、党内にダラ官(堕落した官僚)を許し、現実の風を吹かせる必要があるとする。現代の政治運動には官僚化が欠かせない。それが日本共産党が、唯一の左翼政党として生き残っている要因でもあるだろう
70年代に関東で壊滅した学生運動が、関西で健在だったのはそうしたユルさからで、佐藤氏の母校・同志社大学ではブント的な学生同士の「子供の政治」を社会勉強として容認し、大人が子供を利用しようとする民青、中核派、そして統一教会から守ろうとする良識があった
本巻は両氏の実体験も深く関わって、手前味噌な部分はあるけれども、それだけに偏狭な世界観しか持たない集団が過激派に堕ちてしまう過程が捉え、その問題点を明らかにしている


*23’4/7 加筆修正

次巻 『漂流 日本左翼史』
前巻 『真説 日本左翼史』



『レッド最終章 あまさ山荘の10日間』 山本直樹

巻末には、山岳ベース事件の生き残り、植垣康博のあとがきが。ほぼ創作なしの作品だからこそ、ここから革命の問題を問い直す起点となるとか




山岳ベースを出た谷川(=坂口弘)たちは、谷急山を登頂して、和美峠へ出る。凍傷に悩みながらも警察を警戒して道路を避け、軽井沢のレイクゾートへと抜けた
食料や物資を調達すべく、鳥海(=青砥幹夫)岩木(=植垣康博)唐松(=伊藤和子)立山(=寺林真喜江)は買い物に出かけるが、身なりの汚さ、立ち込める体臭から怪しまれ、小諸まで逃れたところで警察に逮捕されてしまう
これで山岳ベースのメンバーは、谷川吾妻(=吉野雅邦)、志賀(=坂東國男)、黒部次郎(=加藤倫教)、黒部三郎の5人となる

5人は「あさま山荘」に入る前に、レイクニュータウンの山荘のひとつ、「さつき山荘」に入り込み、一息つく。しかし、そこを警官に発見され、慌てて抜け出す
そして、たどり着いたのがあさま山荘だった
山荘には管理人の利根夫人(仮名)が留守番をしていたが、谷川がこれを“確保”。吾妻は包囲される前に脱出を主張するが、谷川が岩木に片方の靴を貸し出して長くは歩けないこと、全員が凍傷に苦しんでいて、疲労困憊していることから、立て籠もりを決断する。総括対象になりかけた谷川は、志賀や吾妻を制して事実上のリーダーとなっていた
利根夫人と人質交換で北(=森恒夫)赤城(=永田洋子)などの釈放を目指す

警察と谷川との攻防は熾烈を極めた。治安当局は人質の人命優先は当然として、殉教者にしないために犯人たちを生きて捕らえることを目指した
そのため、強行突入はギリギリまで控えて、谷川や吾妻などの両親による説得、寝かさないための騒音作戦催涙ガス放水と、考えうる限りの手段をとってくる。谷川たちにとっての“殲滅戦”と、警察の人命優先の救出作戦という認識の違いは、何人もの死傷者を生んでいく
新潟でバーを営んでいた品濃康彦(仮名)が、左翼にシンパシーを抱きつつ暴力では解決しないとして、「文化人」と称して人質との身柄交換を申し出るが、偽装した警官と誤認した谷川が銃撃。当初は命に別状なしと思われたが、弾丸が脳に達し、一週間後になくなってしまう
2月28日のXデーが迫り、27日に放水を指揮していた荒川中隊長(=高見繁光)が射殺され、突入当日には志賀の狙撃により石川警視(=内田直孝)が死亡。警察を中心に多くの死傷者が出たのだ

作品は谷川らが逮捕され、その後に現代に至るまでの年表を置いて幕を閉じる。最後のコマが、「あさま山荘」の電子ジャーでご飯が炊き終わるのを待つ黒部三郎
こんなご飯をガツガツ欲しがる普通の少年が、なぜ悲惨なリンチ事件に巻き込まれ、あさま山荘で銃撃戦に及んだのか、事実を淡々と追い続けたなか、この一コマでそんな問いかけを投げかけているように思える
年表を見ると、「あさま山荘」をもって学生運動は失墜したが、テロの時代が終わったわけではないと分かる
同じ年の1972年5月30日、イスラエルのテルアビブで“日本赤軍”が無差別銃乱射事件を起こす
1974年8月30日には、東アジア反日武装戦線による三菱重工ビル爆破事件(後に一部メンバーが日本赤軍に合流)
1975年8月日本赤軍マレーシア、クアラルンプールのアメリカ大使館を襲撃。人質と引き換えに連合赤軍の谷川と志賀の釈放が要求され、志賀がこのとき超法規的措置により釈放されている(谷川は拒否)
1977年9月には、日本赤軍がダッカ空港のハイジャック事件を起こし、9人の解放を要求。それに含まれた岩木はこれを拒否している
ここから9.11までの年表を見ると、むしろ「あさま山荘」がテロの時代の魁を果たしたかのようだ
谷川(坂口弘)は死刑判決を受け、吾妻(吉野雅邦)は無期懲役を受け服役中。志賀(坂東國男)は今なお逃走中で、彼が捕まり裁判を受けない限り、「あさま山荘事件」は終わっていないとする捜査官もいるそうだ


前作 『レッド 最後の60日 そして あさま山荘へ』 第4巻



『レッド 最後の60日 そして あさま山荘へ』 第4巻

山に登った37名中、8名が逃亡・離脱、5名が逮捕、死者15名




山岳ベース事件の最終章。この巻で15人目の犠牲者が揃う
苗場(=山本順一)の総括は、北(=森恒夫)にとって計算外だったのだろうか。自殺しようとする苗場を「そうするぐらいなら、総括しろ」と、猿ぐつわをはめて防ぐ。私刑の嵐はもはや、森を離れて展開して止まらない
しかし、苗場は妻・不二子の願いも虚しく、厳寒の夜に縛られて凍死してしまう

同じく縛られた白根(=大槻節子)も凍死したことで、岩木(=植垣康博)への総括は緩くなる。山岳ベースの引っ越しが忙しくそれどころではないのだ
しかし宮浦(=金子みちよ)妊娠していることを盾にして、総括しようとしないと見なされ、縄で顔を張られる総括を受ける。北は「赤ん坊を宮浦に私物化させてはならない。組織のものとしなければならない」と宮浦が死んでも、お腹から取り出そうと言い出す
幸いという言い方はおかしいが、宮浦が部屋で縛られた状態で死んで冷たくなっていたので、赤ん坊の取り出しまでには至らなかった

中央委員の霧島(=山田考)は車の修理に行った際に、銭湯に入ったことを問題視。北からは赤色軍に復帰したのを出世欲、権力欲ではないかと指摘され、下の者からは幹部面していると安達(=寺岡恒一)のように「官僚的」で傲岸と糾弾される
霧島は雪の上に正座した後、一日一杯の水で薪拾いをするように命じられ、それでも態度が悪いと罵られる
しかし、北と赤城が東京に出ている間、苗場不二子が逃亡したことで、事態は緊迫。谷川(=坂口弘)は、霧島への「総括は終了した」と縄を解くが、岩木ら事情の知らない人間が帰ったときに再び縛られてしまう
霧島は極度の疲労と凍傷から、「総括しろだって、ちくしょう!」と叫んで死んでいった

一度は逃げようとした荒島(=前澤虎義)が榛名ベース解体後に逃走。苗場の赤ん坊を預かっていた平藍子(=中村愛子)も、途方に暮れているところを保護される
相次ぐ脱落にショックを隠せない北は、谷川の霧島に甘かったところを問題視「人間としての感情は党の指導を危うくする」と街に残した妻と離婚し、行動を共にしてきた赤城との結婚を決意する
赤城は組織の維持のために北に同調する。情の上では谷川に未練はあるが、北と肩を並べているうちに、考え方はかなり引きずられてしまっていた
谷川は北と「総括」を巡って相容れず、もはや修復の余地はないのだ

15人目の犠牲者、霧島が死に、谷川と赤城が別れたのちは、北ではなく谷川が実戦部隊の隊長格として残りのメンバー率いていく
警察の手を逃れるべく、厳しい冬登山、それも難関といわれる妙義山の裏を通って群馬と長野の県境を目指す。そして、北と赤城の逮捕を聞いて、奪還の作戦で盛り上がる。ここだけ切り取れば、なんだかイイハナシになっており、彼らが生きたかった「革命の物語」だったのだろう
それと比べると、北の「殲滅戦」は警察相手の暴発に終わり、いかに彼が観念の世界に生きていたかが分かる


これにて、山岳ベース事件の幕は閉じる。彼らのその後については、ただ文字で説明されただけ。ときに修羅場でメンバーの本音が強調されるものの、死んでいく順に番号が割り振られるなど、全体的には突き放した視線で淡々と描かれていた
起こった事象を並べて、あとは読者に委ねる形であり、集めた資料や証言の隙間を作者の想像で埋めた部分もあるとはいえ、ノンフィションに近い作品なのだ
『最後の60日』では関係者の対談がなくて、少し寂しかったが、それは贅沢というものか

次巻はあさま山荘事件。そこでは彼らのやりたかった「革命の物語」も崩壊するはずだ


最終章 『レッド最終章 あさま山荘の10日間』

前巻 『レッド 最後の60日 そして あさま山荘へ』 第3巻

『レッド 最後の60日 そして あさま山荘へ』 第3巻

反逆者と脱走者の出現で赤城にも変化が




安達(=寺岡恒一)はすでに死を覚悟したのか、総括の際に露悪的な態度をとる。自分がトップに立ったら、連合赤軍の女性たちに囲うつもりだったとか、王侯貴族の生活をする気だったと言い放つ。いきり立つメンバーを背に、森は尋問の際にナイフで刺させる。そして、満足いく答えが得られないと、死刑を宣告する
皮肉なのが、権力との殲滅戦だの唱えている一団が、人ひとり殺すのに心臓の位置も分からず苦労するところ。大勢で寄ってたかってアイスピックで刺していく
そして最終的には首を締めるのだが、これも時間がかかり地獄絵図のような状況になる

そんな中、東京でカンパを募りに行った仙丈(=岩田平治)荒島(=前澤虎義)は、シャバの空気を吸ったことで殺伐とした山に戻るかで葛藤する。仙丈は動向していた志賀(=坂東國男)の妻である唐松(=伊藤和子)「自分は反革命になりきる」と宣言し、組織を抜けた。粛清されたメンバーとあまりに近く接していて、革命うんぬん以前に耐えられなくなったのだ
一方の荒島は、弟の読んでいた大江健三郎の『壊れものとしての人間』を読んで、「よろしい、僕は地獄へ行こう」の文が目に止まり、山へと戻ってしまう

もともと態度が良くないとされた神山(=山崎純)は、唐松が戻った際に「仙丈が逃げたな」と言ってしまったがために、北に「普段から考えているから、口に出る」と本格的な総括の対象に
仙丈の失踪からベースを移す必要が生じたことから、神山に対して「死刑」に決まった吹っかけて反応を見ることにするが、最初の関門を突破したあとにホッとしたところの態度を指摘され、自らもそれまでの態度が欺瞞だったと告白。女性兵士たちを性的な目で見ていたこと、逃亡を考えていたことも口走ってしまう。そうなると、安達と同じコースを辿り、前回から進歩のない、非常に苦痛に満ちた死刑が行われるのだった

その後、総括の対象は岩木(=植垣康弘)相思相愛の白根(=大槻節子)吾妻(=吉野雅邦)の妻で妊娠中の宮浦(=金子みちよ)へ矛先が向かう。赤城は白根や宮浦に対しては厳しく、総括の際にも意地の悪いの表情で描かれている
白根は男性遍歴の告白を迫られ、処刑された五竜(=向山茂徳)との関係が、宮浦は「総括される理由が分からない」と態度そのものが問題視された
吾妻は入山のさいに宮浦からケジメとして離婚を申し出されるが、それを赤城が翻意された経緯があったものの、今度は中央委員としての保身で離婚を宣言
それにより、今度は岩木の白根に対する態度が問われることに
その一方で、引っ越しの工事現場で、苗場(=山本順一)がトラックの運転をミスし、「安達の処刑が影響しているのでは」と一日正座を命じられる。「山にくるべきではなかった」と涙するのだった


連合赤軍の「総括は、その制裁に対して全員の参加が求められる。全員に罪の意識を共有させた上で、言葉をすり替えて「革命に背を向けた“敗北死”」というレッテルを貼ることにより、自分たちは「革命の物語」を生きられる
もしその物語から抜けると「総括」に加担した自分が、ただの殺人者になってしまうので、自分にやられる「総括」を否定しづらい。また参加を求められるのも、逃亡した際に権力に殺人として裁かれるリスクを背負わせるためで、神山はそれに対する“論理の抜け道”(言い逃れ)を見つけていたために北の怒りを買ってしまう
北は「われわれが前進したため、裏切り者が出た」という珍妙な論理で「革命の物語」を続けるが、中央委員の安達の処刑に、信頼していた仙丈の逃亡は指導部を大きく動揺させ、本来は革命戦士になるための“援助“であった「総括」が、「反革命への処罰」へと変貌していくのだ


次巻 『レッド 最後の60日 そして あさま山荘へ』 第4巻
前巻 『レッド 最後の60日 そして あさま山荘へ』 第2巻

『レッド 最後の60日 そして あさま山荘へ』 第2巻

総括は指導部にまで




1972年1月3日、指導部は正式に中央委員会を結成し、北(=森恒夫)、赤城(=永田洋子)、霧島(=山田考)、志賀(=坂東國男)、安達(=寺岡恒一)、吾妻(=吉野雅邦)、谷川(=坂口弘)がそのメンバーとなる
その発表の席でのんびりした性格がにらまれた磐梯(=行方正時)は、総括の対象に。自殺しようとしたこと、武力闘争から逃げて組織への出戻りを繰り返した過去を告白したが、認められず縛れることに
一足先に縛られていた黒部一郎(=加藤能敬)は、目隠しをとり水をすすったことから、殴打による総括を受け縛られたまま死んでしまう
この死を見た黒部3兄弟の末弟・三郎は、「こんなことやったって、今まで誰も助けられなかったじゃないか!」と絶叫して部屋から飛び出すのだった
しかしその後、三郎次兄の次郎(=加藤倫教)から「われわれはおかしいんじゃないか?」と相談されても、「考えるより、革命の貫徹が大事」と退けている

磐梯は総括で東京のアジトをちくったことを告白させられ、逃亡したい願望を口にしてしまう。「縛られるときに体に力をいれるから、ちゃんと拘束できない」として、角材を使ってまでの殴打で気力を失ったところに、逆エビに縛られてしまう
その様子を見ていた天城(=遠山美枝子)は、虚ろに「母さん、私頑張るから」も漏らす。それを総括の際に、赤城から「芝居だ」と突っ込まれ、北からは男性遍歴を告白するように迫られる。その時々の組織のトップに興味を持つとみなされた彼女は、磐梯のように殴打の末に逆エビに縛られるのだった
そして、次の日の夜に、天城の死を赤城が確認。彼女は捕まった政治局員・開聞(=高原浩之)の妻であり、一同に衝撃を与える。赤城の夫である谷川は、思わず赤城が天城に冷たかったと非難するが、北のフォローを受けて逆に「私に謝りなさい」と谷川に自己批判を迫る。谷川はこれをきっかけに総括に疑問をもち、赤城や北から少し距離を置くようになる

磐梯も同じように死んだ後、次に総括の対象となったのが、中央委員会の一員である安達
これはそれまでの総括とは違い、過去の行状を理由にしたものではなく、北と安達の「権力闘争」の意味合いをもつ。森の意図以上の行動をとる安達に対して、腹心の志賀に行動を共にさせて、総括の材料を集めさせる
迂闊にも安達は志賀に、北と赤城を外した新しい軍事委員会の提案してしまい、それを「分派行動」として咎められるのだった
問い詰められた安達はあっけなく“罪状”を認めてしまい、自らを縛れという。無理を承知で反省して指導部を批判しないポーズを取るところは、本場のモスクワ裁判を思わせる
もちろん、それは許されず、中央委員会のみならず、総員の殴打を受ける。事情を詳しく知らない人間たちも安達が“非指導部”の人間に傲岸だった、「官僚的」だと袋叩きにされるのだった


北のナンバー2といった立ち位置の赤城は、かなり複雑に立ち回る
中央委員会では北の方針を支持して自分の立場を守りながら、北が「関西の赤色軍(=共産主義者同盟赤軍派、北の所属していた組織)の連中を山に呼び、ナイフで恫喝してグループに加える」というと、「そんな総括が必要な人間を集めてどうする」とたしなめている
北がけしかける暴力に対して従うものの、死んだ者に対しては「なんで総括してくれなかったの」と涙を流すし、黒部一郎が死んだときには、弟の次郎を慰めている
その一方で、女性が馬鹿にされないようにと、山に色気を持ち込む天城や女性蔑視な発言の目立つ安達を厳しく指弾している(夫の谷川には痛いところを突かれていた。ただし、天城の死にも、他の同志同様にショックを受けている)
そんな彼女に連続リンチ事件の責任がどこまであるのか。その動きは良くも悪くも補完的であり、大まかな方針には口は出せても、総括に対しての影響力は限定的なのだ


次巻 『レッド 最後の60日 そして あさま山荘へ』 第3巻
前巻 『レッド 最後の60日 そして あさま山荘へ』 第1巻

『レッド 最後の60日 そして あさま山荘へ』 第1巻

最近の紙媒体はちょっと時期を外すと、大きい本屋にもない!
デジタルの時代にならって、キンドルで揃えましたよ




新章の第1巻。伊吹(=尾崎充雄)が死んだことを、北(=森恒夫)赤城(=永田洋子)を中心とする指導部は、革命戦士になることに背を向けた「敗北死」と規定した。そして、すでに外で縛られている黒部(=加藤能敬)薬師(=小嶋和子)に加えて、自由奔放な高千穂(=進藤隆三郎)も指弾の対象となる
高千穂は「自らを縛ってくれ」というが、北はそれを拒否しみんなの暴力による総括を主張。腹を殴打されながら、「革命戦士になるためになんでこんなことが必要なんだ!」と叫ぶが誰も同調せず、安田講堂などの活動を思い出しながら死んでいった

赤城は薬師が「暗闇を怖がる」として、それを克服してこそ革命戦士と目隠しをさせたが、翌朝には変死。これもまた「敗北死」とされるが、そのことに霧島(=山田考)は「死をつきつけても革命戦士になれない」と森に指摘する
もっとも霧島は森に「死の問題は革命戦士に避けられない。精神と肉体の高次な結合が必要である」と言い返されると、なぜか納得してしまうのだが……
そんな殺伐とした状況で、岩木(=植垣康弘)神山(=山崎純)が榛名キャンプに加わるが、通常運転の彼らはそれゆえに疑いを向けられる。両者ともそれぞれ白根(=大槻節子)平藍子(=中村愛子)との交際を意識した発言をするが、結婚には総括できていないとダメと総括の候補になってしまう

天城(=遠山美枝子)高千穂への殴打に加わらなかったことから総括の対象に加わり、「薬師のようになりたくない。死にたくない。生きたい」と告白する彼女を追い込んで、磐梯(=行方正時)とともに薬師の死体を埋めさせるのだった
しかし、天城が薬師の死体を殴打したこと、それを安達(=寺岡恒一)が周囲にも勧めたことを森は「死体は丁重に葬るべき」と問題視し、天城の総括を開始する
森は「我々の“援助”なしに総括してみろ」と、顔を自分で殴打することを強いる。そこへ赤城は、その顔を鏡で見るように強要するのだった。吐き気を催すほどの蛮行だが、本人たちは善行をなしているつもりなのである


印象的なのは、総括で殴打された顔の描写すっかり腫れ上がって女性は髪を来られるから、見かけで性別が分からない!
ここがそれまでの丸みを帯びて、その人物のキャラクターがあったのが、もはや番号が記さなければ誰か判別できなくなるほど、個性が剥奪されている。連合赤軍事件の本質がここに象徴されている
「総括」への疑問は各所に吹き出ていて、表向きは「前向きに頑張れ」というポーズを取るものの、指導部の手法に違和感はみんな感じている。路線転換するシード自体はあるのだけれど、すべての人間が我が身可愛さで保身に走ってしまった結果、恐怖政治は止まらないのだ
1巻の感想にして長くなってしまったが(苦笑)、それだけの修羅場が固まっていて書かざる得なかったのだ。次は短くしたいけど、内容が濃いのではてさて


次巻 『レッド 最後の60日 そして あさま山荘へ』 第2巻

前作 『レッド』 第8巻

【配信】『三島由紀夫VS東大全共闘』

討論の内容自体は難しいが、関係者の証言、解説でなんとか




1969年1月18日から19日にかけて、東大安田講堂を占拠した東大全共闘。彼らは全共闘の今後を占うべく、思想的には対極にいると思われる作家・三島由紀夫に討論を申し込む。同年5月13日、駒場キャンパス900号教室に三島は約束通り、姿を現した

安田講堂占拠事件の興奮冷めやらぬ東大で行われた、東大全共闘と三島由紀夫の討論会のドキュメント映画。TBSが独自に撮っていた当時の映像と、両者の関係者13人の証言で構成されている
全共闘とは、既存のセクトを超えた学生の連合体で、日大、東大から大学の体制変革を求めた運動として始まり、全国へ飛び火した。しかし安田講堂に機動隊の介入で陥落してからは、ピークアウトして運動の是非が問われた
一方の三島由紀夫は、戦前に『花ざかりの森』で頭角を現して以降、ノーベル文学賞の候補に挙がる日本を代表する作家としての地位を確立しており、『豊穣の海』4部作に着手していた。さらには1968年に民兵組織「楯の会」を組織し、学生からは保守反動と見なされていた
そんな不倶戴天の存在を前に語る両者は意外にも和やか。両陣営とも裏では暴力沙汰に備えていたものの、三島のユーモアたっぷりの挨拶で、学生たちの笑い声が響いた

三島が討論会を引き受けた理由は、まったく立場の違う人間に対して、「自分の言葉が通用するか」(=言葉の有効性)を試すためだったという
全共闘にシンパシーを感じたのは、彼らが60年代安保からの流れを継ぐ「反米愛国運動であるからであり、「天皇の名でそれを語ってくれれば共闘する」と彼らを説得するつもりだった
最初に持ちあがるテーマは、文学的な切り口。「他者とは何か」については、サルトルから「一番猥褻なものは、縛られた女の肉体」という言葉を引き、エロチシズムは他者にしか発動しないものだが、縛られた肉体=オブジェは本当の他者とはいえないとする
本当の他者とは、「自分では操作できない存在」=「主体を持つ存在」。だからこそ、エロチシズムや弱者に振るう「暴力」の対象ではなく、「対決の論理」で向き合う存在である。しかし、それは相手に「主体」を認めていることにもなる
この捉え方が、自己と他者が関係する唯一の方法ではないか、とする。その関係のなかには、1対1の「決闘の論理」による政敵の暗殺も入るわけだが……

討論として一番ヒートしたのは、「自然と人間」について。管理人の頭では分かりにくかったが、三島が大学の机をバリケードに使う行為を、本来の目的と離れたところで道具を使うものとして、その由来、歴史性を無視することとして批判的
それに対して、すでに子持ちの演劇人である芥正彦は、歴史性を文明の毒が生んだものと論じる。共に演劇をやっていたという橋爪大三郎(社会学者)の証言によると、芥氏は芸術至上主義者であり、人間が文明の鋳型にはめる以前の原初の姿を取り戻すのが芸術の役目だとする。彼が想定する解放区(国家の支配を受けない地域)とは、国家や文明の歴史から自由な場所で、体制から規定される時間から解放されているのだ
とすると、三島の政治活動を作家であるならば、「時間から自立した作品」をもって答えるべきであり、「作家として終わっているのでは」とまで突きつける。討論中、もっとも鋭いツッコミだ(苦笑)
それに対して三島は笑って、やはり歴史性は無視できないとする。三島の反論としては、現実の世界を持続させるには、「物に名前をつけて特定する」、言葉、文明が不可欠とした

「天皇さえ持ち出してくれたら共闘できる」。その天皇の存在が両者を大きく隔てる
三島は戦前に学習院高等科を首席で卒業し、昭和天皇から恩賜の銀時計を拝受された。さらには徴兵検査を受けた第二乙種で合格し、個人と国家(天皇)が運命を共にする空気を吸い終戦を迎えた
戦後は個人が国家から独立した存在として扱われ、三島は「生き残った少年兵」として、いかに戦後社会のなかで折り合いをつけるかをテーマにしていた
しかし40代半ばから、かつての個人と国家の関係をいかに取り戻すかに移り、討論会においてもそれを告白する。外国へ行くほど日本人にあることを自覚するという話は理解できるとしても、天皇と自己を一体化して歴史を生きたいという感覚は、戦後生まれの人間にはついていき難い

1970年11月15日。市ヶ谷駐屯地に立て籠った三島は、自衛隊の蹶起を促す演説をした後に割腹自殺した
それは大阪万博の直後であり、新左翼運動の過激化から全共闘も解体へ向かっていた
全共闘の総括に関して、橋爪大三郎は、「運動は勝っても負けても、必ず終わる」。終わってからどうするかが大事であり、「何があったかは語り継ぐ責任がある」。三島のように「死んじゃうと、覚えてられないよ」とも
他の元全共闘の方も、その体験は社会に溶け込むことによって還元されていったのではと、まとめていた
ともあれ、討論会の三島は明るく、生き生きしている。こんな彼が翌年に悲壮な決意で死を遂げるなど、言葉の片鱗にはあっても予想だにしまい

『革命とサブカル』 安彦良和

連合赤軍は何を終わらせたのか。革命からサブカルの時代の移り変わりを当事者たちが問う




ファーストガンダムの作画監督、歴史物の漫画家として知られる安彦良和が、弘前大学で学生運動に関わった人々と過去と現在を語り合う対談集
60年代で派手に燃え盛り、72年の「連合赤軍事件」で下火になっていく学生運動の実態が赤裸々に語られている
安彦良和は弘前大学において全共闘運動にのめり込み、リーダーとして弘前大学本部(取り壊す予定の建物だが)を占拠! 警察に捕まり、大学から退学処分を受けていのだ
話はそこにとどまらない。弘前全共闘で活動を共にした青砥幹夫植垣康博は、後に赤軍派に参加し連合赤軍事件の当事者となってしまう(青砥とは、山岳キャンプ入り前に会っていた)
その両名との対談に加えて、日本共産党系の学生組織「日本民主青年同盟」(民青)にとどまって対立した人に、アングラの舞台人と転じた人との対話もある
そこから見えてくるのは、後の世代から「まとめて左翼」と断じられているものが、それぞれの活動家にとって、お互い相いれない存在であるということ
学生グループには、共産党系の民青もあれば、アナーキズムの流れをくむ「べ平連」に近いもの、大学執行部に反抗する全共闘と、マルクス主義への傾倒は一致しているものの、内実はバラバラだったのだ


1.全共闘世代とサブカルチャー

対談、論考のなかで浮かび上がってくるのは、タイトルでは革命とサブカルを対峙させながら、全共闘世代が「サブカル世代のはしり」ではないかということ
よど号ハイジャックのグループが「われわれは明日のジョーである」という声明文を残したように、大学生が漫画を読み続ける最初の世代だった。ヤクザ映画も流行して、橋本治創案の東大学園祭のキャッチフレーズ「とめてくれるな、おっかさん。背中の銀杏が泣いている」だった
「エロ・グロ・ナンセンス」も好む新左翼のこうした傾向は、日本共産党系のお行儀のいい文化論への反発でもあったそうだ。安彦氏はこの新左翼のお行儀の悪さ、カウンター・カルチャーが、サブカルチャーの興隆の源泉と考えている
よど号ハイジャック事件に話を戻すと、リーダーの田宮高麿は、すでに独裁体制と分かっていた北朝鮮と中国を説得して革命根拠地とする気でいたという。世界の実情をわきまえない、その想像力は、自分と世界の中間を欠落した「セカイ系とまで評する
すでに新左翼の「革命」はサブカルの領域に突入していたというのだ


2.全共闘世代のその後

すべての対談が興味深い。弘前大学の演劇集団「未成」メンバーとでは、同時代に蜷川幸雄の演出レビュー作を先取りしてやった話に、麿赤兒の舞踏集団「大駱駝艦」つかこうへい、松田優作、寺山修司の「天井桟敷」の名が飛び出すなど、当時の演劇界の熱さがうかがえる
元民青でかつて対峙したお相手とは、沖縄問題における本土人との感覚の違いが問題となる。本土から基地返還運動でやってきた活動家は、意外とナショナリズムの意識が強く、日本の領土奪還という認識でいる
しかし沖縄県民からすると、琉球処分、沖縄戦から本土に複雑な感情を持っており、そうした活動家とも溝があるという


3.セカイ系→ハーレム→物語回帰?

そして、サブカル代表(?)としてアニメ研究家・氷川竜介との対談。安彦氏は、社会という中間を抜いて世界を変える「セカイ系」批判をするつもりが、「すでに終わっている」と言われて拍子抜け。今は、異世界でチート的な能力を振るう「異世界転生」「なろう系が取って代わっている
氷川氏いわく、もはや世界の問題すら必要なく、自分の願望が叶うハーレムワールドなのだ。会社員が家に帰って見る読むとなると、物語の「葛藤」に身をつまされるより、癒し」のほうが求められるからだとか
とはいえ、その一方で『アルスラーン戦記』がリメイクされるのは、ファンの中では古典的でも物語を期待する向きがある。『エヴァンゲリオン』も根本は『マジンガーZ』でいわば‟懐かしもの”なのだ


本書は前半が対談で、後半が安彦氏の論考というかエッセイになっている
ワイドショー的な関心かもしれないが、栗本薫、永井豪、富野由悠季、庵野秀明などへの言及が興味深く、全共闘から手を引いた者をなじり、残った活動家を褒める映画監督の若松孝二、元赤軍派の塩見孝也には手厳しい
転向という言葉は、共産主義の側から作られた言葉で、全共闘や連合赤軍を経て「生を極めて」変化した人々をなじるのはお門違い。むしろ、変われない硬直した態度のほうが問題なのだ
正直、論考の部分は時事放談の部分も多く、各人物の好悪がはっきりしていたりするのだが、あの70年代のことに関しては、その時代を生きた者にしか分からない空気が伝わってくる
管理人の親父と同世代であり、語ってくれなかった時代の話を代わりに聞けたのが有難かった


*23’4/5 加筆修正

連合赤軍を扱ったマンガ 『レッド』 第1巻

『「彼女たち」の連合赤軍』 大塚英志

フェミニストじゃないけど、その代行をした評論



連合赤軍事件の原因は、「かわいい」の価値観を巡るものだった!? 高度成長後の消費文化と女性たちを中心に論じた評論集

だいぶ前に読んだけど、さいきん連合赤軍関連に触ったので
単行本では1996年までの論考をまとめられていて、文庫版では2000年に逮捕された重信房子論が加えられていた
冒頭に連合赤軍の副委員長だった永田洋子が、獄中で少女漫画のような「乙女ちっく」な絵を描いていたことに注目。彼女と委員長の森恒夫に「総括」を迫られた女性のメンバーたちが、少女まんがに代表される「かわいい」消費文化の洗礼を受けていて、その払拭を迫られていたとする
少女まんがに「内面」をもたらした‟24年組”(萩尾望都、竹宮恵子ら)は、連合赤軍事件の同時代に活躍していて、著者は浅間山荘事件がテレビ中継されているころに読みふけっていたという
本書では戦前から準備され高度成長期以降に花開いた「かわいい」消費文化と、それに引き続く80年代のフェミニズムを展望し、その可能性と限界を探っていく

戦後の女性やフェミニズムを「かわいい」少女文化に代表させるのには、笙野頼子から批判がある


1.黙殺された連合赤軍の女性問題

いくつか連合赤軍の本や漫画を読んでいたので、本書がどういう位置のものか理解できるようになった。これは80年代を経て振り返ったジェンダー論なのだ
著者はフェミニストではないと断りを入れるが、上野千鶴子が読んで涙したという江藤淳の『成熟と喪失』をたぶんに引用し、当時は黙殺されていた連合赤軍の女性たちの問題に深く切り込んだことに意義があったのだ
左翼運動にのめりこんだ女性たちが、男女平等だけを理由に武器をとるわけもなく、旧態依然たる大学や社会問題があった。その解決にまだ価値を失ってなかった共産主義が魅力的に説かれた背景があるわけで、それを踏まえた上で読まないと見落とすことも多いだろう
森恒夫が女性を「母胎」としてのみ評価し、「総括」するメンバーから赤ん坊を取り出そうと言い出したことから、「早すぎた‟おたく”」というのは深読み過ぎるか(‟おたく”の定義にもよるだろうけど)
関係者の証言からは、森恒夫は体育会系気質であり、単に女性の体の仕組みを分かっていなかったのではと思う。連合赤軍の男たちは恋愛経験に乏しく、かつ恋愛そのものをプチブル的と忌避していたのではないだろうか(組織的な「婚姻関係」はあるが)
ともあれ、永田洋子は裁判長のみならず、わりあい同情的な若松孝二の『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』ですら悪女扱いされており、そうした神話を打ち消して実像に迫ったことは評価すべきだ


2.『ねじまき鳥クロノクル』と歴史との対峙

オウムの女性信者の経歴からは、80年代のフェミニズムが女性の自己実現、自己表現を掲げながら、サービス産業の下請けにとどめたのを指摘。日本国憲法の女性の権利条項に、ユダヤ系オーストリア人のベアテ・シロタ・ゴードンに着目するなど、タイトルどおり「彼女たち」の問題には鋭い
その一方で、森恒夫から上祐史浩、宮崎勤への流れを、サブカルチャーに「母胎」のように包まれて生きる‟おたく”で括るのは大雑把。評論というより、著者本人の問題に絡んだ作品として読むべきだろう

単行本の終章など要所で語られるのが、村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』。著者が村上春樹に辛口な理由が分かった。期待に対する裏返しだったのだ
『ねじまき鳥クロニクル』はスティーヴン・キングばりのサスペンスとして、一人称「ぼく」の主人公が‟闇の力”ともいうべき「歴史」と対峙する。敵役の綿矢ノボルの権力は長い年月を経て噴き出した、血塗られた「歴史」を源泉としている
「ぼく」と綿矢ノボルとの決着は、想像の世界で終わり、現実の世界では失踪した妻クミコがつける。この不完全決着を著者は、安易に<正史>を語らない態度として評価していた。語ってしまえば、綿矢ノボル(保守系の論客を想定?)と同質のものに陥ってしまう


3.日本に正史はなかったのか?

もっとも、戦後の日本社会に<正史>がないには同意できなかった(というか、理解できなかった)
GHQの統治下で戦前の社会を帝国主義、軍国主義の悪と見なして、平和憲法を契機に変わるという史観日教組が力を持った時代、管理人の世代には支配的だった。それに司馬史観によって是正され、明治までの近代化は良くて日露戦争以降はダメという認識が共有されていたと思う

*実はGHQ史観は、司馬史観に近かったという話が! → 『日本解体 「真相箱」に見るアメリカの洗脳工作』
 戦後の史観は左翼が支配的だった教育界で作られたもののようだ

朝ドラでの戦争が終わったときの解放感、戦国時代に戦のない世を目指すといいだす大河ドラマを見れば、今なお根強いと言わざる得ない。自民党の総理が憲法改正を唱えても、よほどの危機がなければ世論は動かないだろう
むしろ、そうした<正史>の枠に収まろうとしたのが『ねじまき鳥クロニクル』の態度であって、隠された「歴史」に潜む危うい魅力に触らなかったのだ。やはり、村上春樹は戦後民主主義者の典型といえる
どちらかというと、「歴史」の一部から<偽史>が作られていく所以は、<正史>のカウンターとして働いたマルクス主義史観が崩れていったから。<正史>とそれが作る体制からはみ出る人にとって、<偽史>でも作らないとやっていけないのだろう
「歴史」は解釈であって、考証と時代によって変わっていくものなのだろうけど、<偽史>がまんま流布しないように、喧々諤々と議論されふるい落としてべきなのだ


と、長文を書いてしまったように、再読してもなんだかんだ啓蒙されました


*23’4/5 加筆修正

関連記事 【DVD】『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』
     『ねじまき鳥クロノクル』 第一部


【DVD】『中国女』(1967)

商業映画から抜け出る端緒(後に復帰)




1967年、夏のパリ。親の銀行家の大学生ヴェロニク(=アンヌ・ヴィアゼムスキー)は、俳優のギヨーム(=ジョン・ピエール・レオ)、研究員のアンリ(=ミシェル・セメニアコ)、画家のキリロフ(=レックス・ド・ブリュイン)、元売春婦の家政婦イヴォンヌ(=ジュリエット・ベルト)らとマルクス主義のサークルに入っていた。中国の文化大革命による北京放送を聞いて、メンバーは毛沢東主義に感化され、ヴェロニクは大学封鎖のため文化人のテロを画策する

かなり分かりにくい映画だった(苦笑)。いろんなシチュエーションの場面が次々に入れ替わり、忙しいのだ
前半に映画の撮影シーンがあるのだが、ヴェロニクらが誰かの取材を受けているのか、本人たちが撮影しているのかが判然としない。追放されたアンリが取材を受けていることから、製作者が活動家を撮ったパターンと、政治宣伝用のフィルムが混在しているようである
ときは1967年中国で紅衛兵が結成されて1年経ち、フランス語の大学の体制に不満を持つヴェロニクは、毛沢東と文化大革命に憧れた。政治宣伝どおり、「下からの革命」と錯覚したのだ
サークルはいつのまにか、一番過激な彼女が主導するようになり、大学封鎖のために文化人の暗殺を計画。反対したアンリを「修正主義者」として追放してしまうのだ

1968年のパリ五月革命(五月危機)を予見したとも言われる作品で、テーマ的には学生運動の過激化をあらかじめ牽制している内容である
当時のフランスでは、スターリン批判とアメリカとの雪解けからソ連に幻滅し、左翼学生はヴェロニカのように文化大革命を称揚する空気があった。毛沢東が社会主義の新しいアイコンとなり、作中でも毛沢東語録が本棚を真っ赤にしている
そんなヴェロニカの無軌道さをとがめるのが、アルジェリア独立戦争でフランス人脱走兵を匿ったフランシス・ジャクソン(本人)。大学を封鎖するために、爆破して学生も教授も殺すという彼女に、「やった後にどうするのか」を追及する。しかし、具体的な構想はまったく出てこない
ヴェロニカはジャクソン教授も過去にアルジェリアの爆弾テロを支持したと、言い返すが、「そこには人民の連帯があった」と反論。大衆が動員できなければ、何も成功しないのだ

が、ヴェロニカはテロを止めようとしなかった。暗殺者に抜擢したキリロフ(ドフトエフスキーの『悪霊』からか?)が自殺し、彼女自身が買って出て人違いで無関係者を殺してしまう(『罪と罰』かなあ)
テロの実行を契機に、サークルはばらばらになる。ギヨームは劇場で騒ぎを起こし、現実社会の快楽と家族(ガラス張りの水着女性と下着姿のおばはん)に惹かれ、野菜売り場の店員(?)になり社会に吸収される
ヴェロニカやイヴォンヌたちは、テロで何も変わらなかったことを悟る。部室の壁に書かれた政治的文言をキレイに落として、「夏の終わり」を悟るのだ
追放されたアンリがエジプトの少年のたとえ話を出して、「羊(マルクス)の声しか聞いていないから、メエメエとしかしゃべれない」と評するが辛辣だ
この映画は実際に、五月革命の始まったパリ大学ナンテール校において、強い影響を持ったという。大衆と一体となってゼネストへ発展したことからか、ゴダール自身が同年のカンヌ国際映画祭を取りやめさせる動きを取り、ストに対する支持を示した
シーンの切り換えが多く、調べないと分からない固有名詞も出てくるので、かなり入り込みづらい。それでも登場人物の台詞を素通しして、行動のみに着目すれば、理解はできる自分の言葉や体験を持たない若者の空虚さ、マニュアルで自分を規定してしまう危険を警告しているのだ

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