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『大東亜戦争、こうすれば勝てた』 小室直樹 日下公人

タイトルと結論が真逆という


大東亜戦争、こうすれば勝てた (講談社プラスアルファ文庫)
小室 直樹 日下 公人
講談社
売り上げランキング: 300,061

大東亜戦争は勝てない戦争ではなかった!? 保守系の論客二人が探す敗戦の原因と日本組織の欠点

驚いたことにタイトル通りの内容であった(爆
保守系社会学者のレジェンド、小室直樹と、核武装論者の日下公人の対談なのだが、その射程が政治、戦略レベルから兵器開発、戦術論まで広範にわたる
両者とも細かい兵器の性能にまで精通し、もしこれが何年にまで間に合っていたら、あるいはこの機種に資源を集中させていたら、といった一見、架空戦記じみた話にもなる。とんでもないミリオタミリタリー知識なのである
しかし、話の根本は架空戦記にとどまらない。いわばそれを可能にする、政治・戦争の意思決定、開戦から講和にいたるグランドデザインの欠如を両者は指摘しているのだ
指導層の無責任体制は戦後も官僚によって引き継がれていて、怜悧で無私でなければならない組織が共同体化し、前例を固守して同じ失敗を繰り返す。現代にも通じる日本社会の病癖なのだ

戦術面で批判されているのは、海軍の艦隊決戦主義と艦隊保全主義の共存である
この相反する二つがミッドウェー海戦でなけなしの空母4隻壊滅の悲劇を招いた
パールハーバーにおいて二次攻撃しなかったのは、米空母2隻の位置が確認できず反撃を恐れたからとされるが、逆にここでケリをつけられればミッドウェー作戦は必要なかった
ミッドウェー作戦でもアリューシャン列島に向かわせた二隻の空母を参加させれば、作戦の幅も広がった
物のない国の癖なのか、決戦すると言いながら、その時には「まだ決戦は先だ」と艦隊の消耗を避けてしまう。それは日露戦争から続く悪弊だった
奇抜なのは、そもそもパールハーバーの奇襲は必要だったのかという話
従来の日本領海近くでの艦隊決戦でも、相手に空母による航空攻撃の有効性を知られていないのだから、奇襲の汚名を着ずにかなりの戦果を挙げられる
ガナルカナルまで手を出すのは無駄であり、石油が出るインドネシア西部と本土とのラインを確保しつつ、迎撃に専念すればいい
アメリカ海軍の増強が間に合うのは1944年以降なので、それまでに優勢を確立して早期講和にはかるのが、ベストの戦略だった
もっとも、アメリカがそれに応えてくれるほど甘ちゃんとは思えないが、開戦時に終戦までの見通しをつけていないと始まらないのだ

政治面では、何のための戦争かがはっきりしていない点を責められる
開戦の詔勅には「仕方なく自衛のための戦争をする」にとどまり、大東亜共栄圏は開戦後の1942年1月、首相の施政方針演説で初めて明らかになった。完全な後付けなのだ
これでは欧米の植民地主義を責めることはできない
二人が注目するのはインドの独立運動家チャンドラ・ボーズの存在であり、対イギリスに対しては彼のインド独立を支援する形で協力すれば、名分は立つ
アメリカなどはフィリピンの独立運動を苛烈な弾圧で潰した過去はあれど、第二次大戦前にその独立を準備しており、マッカーサーは“フィリピン”の陸軍元帥となっていた
しかし、そうした戦略の前提は、日本が占領地を自発的に独立させることだ。小室氏は朝鮮すら李王朝の王族を戻す形で独立させるべし、としており、こうしたことを当時の日本で実行できたかは怪しい
土地が富の源泉としてしまうのは農耕民族の習性であり、そうした島国の住人が海外に領地を作ってはいけない。戦争を善悪ではなく、国益の観点で問い詰めてここに至るというのが、本書の面白いところ。極端な仮説、試論も突き詰めれば、核心を突くのだ

『韓国の悲劇』 小室直樹

この時代に歯に衣着せぬ



なぜ日本と韓国は上手く行かないのか? 韓国独立の経緯、社会構造の違いから両国の異質さを指摘する

著者は経済学、社会科学、人類学と様々な分野に通暁してソ連の崩壊を予言、テレビでの発言で奇人評論家として有名になった小室直樹橋爪大三郎、大澤真幸、宮台真司の師でもある
本書は初出が1985年。韓国がNIES諸国としての台頭、日本との間に教科書問題が持ち上がった頃で、なぜ両国の認識がズレるのか、韓国人、日本人それぞれの立場に立って相手からはこう見えてしまう由縁を歴史、社会の性質から解き明かしていく
一般人向けのカッパブックスだからか、日韓の歴史問題というこれ以上ない堅苦しいテーマに、幅広い教養からウィットに飛んだ比喩を挟んでほぐし、時に胸がすくような毒舌を振るう。けっこうな文量だったが、一気読みしてしまった
アメリカはフィリピンで大したことをしていないとか(実際には独立運動の弾圧に数十万人の犠牲者を出した)、若干の事実認識の誤りはあるものの、問題の原理原則を押さえた、今なお輝きを失わない良書である


1.幻の解放記念日

韓国では太平洋戦争が終結した8月15日が、解放記念日として祝われる。著者いわく、ここから全て誤まりが始まるという
8月15日は日本がポツダム宣言を受諾した日だが、ただちに日本の朝鮮支配が終わったわけではなかった
朝鮮総督府はソ連の北朝鮮侵入を受けて、自発的に独立運動のリーダーである宋鎮禹、呂運亭たちと交渉し、統治権を渡して独立政府を作らせようとした。しかし、国外にいる李承晩、金九といった最高指導者が亡命中であり、日本側の要求を利用するか、しないかでおおもめに揉めた
とはいえ、8月17日には建国準備委員会によって、公共機関に太極旗が掲げられる
が、実は8月16日には連合軍によって、総督府に日本の統治機構を保全し引き渡すように極秘命令が下されていたため、18日にはふたたび日章旗が掲げられた

これに対して、朝鮮人民によるめだった抵抗はなく、9月9日にアメリカ軍は日本軍と降伏の調印式を行い、11日から軍政が開始された
韓国は自力で独立したわけではなく、日本からアメリカに引き渡されたのだ
著者は革命による新政権が正統性を得るには、実力で敵を打倒し、対外的な戦争状態を終結させねばならないという。大韓民国は対外的にも対内的にも、正統性の低い形でスタートした。それが韓国国内に日本の支配の名残を残し、日本に対する過剰な反応を呼んでいる


2.失われた日本側のリスペクト

世界史的に見れば、旧植民地と元宗主国は独立戦争の時期を越えると、良好になる例が多い。なぜ、日本と韓国でそうならないのか
著者は二つの理由をあげる。まず、朝鮮が17世紀にいたるまで日本の文化に影響を与え、日本側も相応の敬意を持っていたこと
三韓時代には中華文明の中継地として多くの渡来人が招かれ、特に百済人は日本で高官の待遇を受けた。近世にいたっても、朱子学を受容する際には、朝鮮の儒家・李退渓の思想を基礎とした。幕府公認の朱子学は朝鮮の儒教から始まったのだ
近代に入るとこうした評価は日本で忘却され、日韓の認識のズレを生んだ。近代に入ると、何が近代化に貢献したかで序列が決められるからだろう


3.日韓社会の違いと同化政策の失敗

二つ目の理由は、日本の植民地支配が、韓国社会の「同化」に手をつけてしまったこと。日本は村社会に代表される地縁を軸とし、従兄弟同士の結婚、養子相続など血縁意識は低いが、朝鮮では間逆。徹底した血縁社会であり、同姓で同じ地方(本貫)の婚姻は論外とされた
また朝鮮は論理性を重視する「宗教国家であり、朝鮮の仏教では僧が結婚するなどありえなかった。日本では比叡山を開いた最澄からして、菩薩戒から発達した“円戒”という概念を導入して僧ごとに戒律を容認することとし、浄土真宗では親鸞上人が妻帯したことから、公に結婚する僧まで現われた
朝鮮視点だと、こうした原理原則から外れた日本社会の在り様は軽侮されてしまう
こうした全く異質な社会に対して、日本の植民地統治は創氏改名等の「同化」を伴うこととなり、戦後において文化侵略という評価を下されることとなった。著者は「帝国」を名乗るなら、違う原則で暮らす民族を分割統治してみせろと批判する


本書では韓国社会の分析から、日本型の経済発展を遂げないことを予見するなど、本質を踏まえた議論がされている。差別問題解消のために、在日朝鮮人に完全な参政権を渡すべきというぶっとんだ提言もあるが、30年前の本にして読み応えたっぷりである


*23’4/12 加筆修正

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