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【映画】『Gのレコンギスタ Ⅴ 死線を越えて』

いよいよ『Gレコ』も最終章
京都では送り火の日(いわゆる大文字焼き)に出かけたのだが、前日の古本祭り同様に町は人影もまばらだ。映画館も同様で、さすがに実家で過ごす人が多いのだろう




第5部は第23話「ニュータイプの音」から第26話「大地に立つ」まで
展開は事前に宣言された通り同じなのだが、第4部までの積み重ねがあるので、同じ行為でも意味合いが変わってくる
ベルリがロックパイのガイトラッシュを撃破する場面は、テレビ版ではお互いの性能がエスカレーションしての結果といった感じだったが、劇場版だと第4部でフォトン・トルピードで惨劇を起こしているので、いわば自覚した上で決断だった
オーバースペックの機体を預かる責任として、なるべく戦死者を減らし、姉に協力して戦争を止めようとするが、無情にもお互いが戦えなくなるまで行ってしまうのは、TV版と同様だ
マスクとジット団の連合については、アイーダの台詞で、地球の事情を知らない純情なジット団をクンタラの怨念で動くマスクたちが利用したら、とフォローがあった。テレヒ版でわかりにくかった複雑な情勢は、局面ごとに説明台詞があって把握しやすくなっている

後半になると、なんのために戦うのか、という理性が遠のいて、お互いの情を剥き出しにした修羅場へとなっていく
強調されるのは、性能面でマウントをとった時のドヤ顔であろう
ガイトラッシュのロックパイしかり、ユグドラシルのバララ・ベオールしかり、新作画で描き足された場面は迫力があり、見せ場となっている
そして、それが引き起こす事態は悲惨の一語であり、情に翻弄される人間に兵器を持たせればどうなるか、作品の主題をストレートに表している
ではそうした惨禍をどうすれば防げたかというと、第5部の時点ではすでに厳しい。アイーダが亡くなった養父(スルガン長官)へ贈った言葉に、軍の司令という立場でしか物を考えられなかったという厳しい指摘があった。各陣営の責任ある人々が、立場に縛られて視野を狭くしたことが、戦争から抜け出せない状況を招いた
組織の一員である前に1人の人間としてどう考えるのか。それこそ作品にこめられた、全体主義に陥らないためのヒントとなるはずだ

TV版の感想でベルリとマスクのMS戦が引き分けに終わったあと、2人が顔を合わせなかったのが物足りないと書いてしまったが、劇場版で激しくぶつかった場面を見た後だとそれも納得できた
マスクは大気圏突入時にマニィと助け合うことで、一度マスクを外しすでにルイン・リーに戻り始めている
彼はベルリに「独裁者になる素質がある」と言い放つが、むしろルインのほうがそうで、ブーメラン発言である。そういう妄執に囚われなければ、ベルリと戦う理由はない
妖精ベルリにマスクを砕かれて、野望も霧消したとあっては、むしろ合わせる顔がないだろう

いったん戦争が終わればあの憎しみはどこへやら、本来なら国際手配されそうなフラミニア先生もヘルメス財団のラ・グー総裁に大使に任命される。ようやく、不平分子を懐柔する政治の季節がやってきた
ズッキーニ大統領への天誅(あれで生きてるらしい)とか、戦争モードのときは一大事件になるはずだが、ギャグ(?)で済ませられるのも平時であるからこそ
ケルヴィスの恋が成就したり、エンドロール後にノレドがベルリの旅に追いついたりと、それに至る過程は過酷でも、ここまで丸く収めた富野作品もそうないだろう(『ブレンパワード』ぐらい?)
テレビ版の最終回が残念なぐらい忙しかったので、作品が本来の力を発揮したエンドを迎えられて本当に嬉しい


5部作ちゃんと作られると思っておらず、それが完成されたことが驚きだった。第1部・第2部は上映してくれる映画館が少なかったが、だんだん増えていったところは、富野人気の根強さを感じさせた。数においてガンダムのファンのほうが多いかもしれないが、そうでない人にも注目されているのだ
あの『∀ガンダム』でも劇場版が二部作であったことを考えると、アニメの存在感が社会のなかで増していく時代の変化を感じた
そして実際に出来上がった劇場版はというと、見事ガンダムを知らない人でも見れるガンダムに仕上がっていた。『∀』と並んで、人に勧められる作品になったのが、繰り返しになるが嬉しい
はたして、これが富野監督の最後の作品となるのか。80歳のジジイに何を作らせようというのかと、どこかのインタビューで語っていたが、同世代の宮崎駿監督が鋭意制作中となれば……


前作 【映画】『Gのレコンギスタ Ⅳ 激闘に叫ぶ愛』

TVシリーズ 【配信】『Gのレコンギスタ』 第1話「謎のモビルスーツ」 第2話「G-セルフ起動!」

【映画】『Gのレコンギスタ Ⅳ 激闘に叫ぶ愛』

7月、8月に続けて上映される『Gレコ』の第4部を見に行きましたよ
上映される映画館の数はそう変わらず、一日の本数も多いのだけど、観客は前回同様少なかった。まあ、平日でコロナがぶり返している状況もあるのだろうが……




第4部の範囲はベルリたちがビーナス・グロゥブに到達した第19話「ビーナス・グロゥブの一団」から第22話「地球圏再会」まで。ただ、第22話の部分に関しては、展開そのものが変わっていた(はず)
冒頭で気になったのは、いきなりOPロールにMay J.の『ふたりのまほう』が流れるところ。新作画が増えたことがウリの劇場版なのに、旧作再編集、使い回しが目立つのである(苦笑)
本編ははっきりハイクオリティなので、ねじこまれ感が否めなかった(とくにエンドロールに比べますとね……)
構図に関しては、さすがにスケール感があり。戦艦メガ・ファウナがすっぽり入る惑星間輸送船クレセント・シップに、月ほどの大きさもあるビーナス・グロゥブと、巨大な建造物同士の対比がなされ、これぞ宇宙という迫力を感じさせる
第4部は4話分を90分に集約しており、第3部までよりも作品世界をまったりと鑑賞できるのが嬉しい

第19話で驚いたのはフラミニア先生の裏切りで、ベルリに仕事人のように注射を刺していた。映画では他の場面とのつながりのせいか、新作画になって個人的にはパワーダウンか(苦笑)
ジット団の工作員ながら素人ぽさが増して、団長のキアが死んで地球圏へ出港するときにさめざめと涙を流すなど、純粋な主義者として描かれる
そのキア団長は、地球人を寄生虫と決めつける差別主義である一方、人工の海をたたえるシーデスクの地盤が破れるや身を挺して、その穴を埋めて見せる。この両極端さは、幕末の志士を思わせて、単純な憎まれ役に終わらない
むしろ死んだことで、ジット団にその遺志が受け継がれ、彼らを引き返せなくしてしまった

本来なら第20話にあたる、地球圏に帰還したところからはかなり局面が変わっていた
カシーバ・ミコシキャピタル・アーミィが占拠した状態で、マスクは法王を戦艦ガランデンに連れ込んで確保している
そこへスルガン長官率いるアメリア軍が奪取をはかろうというのが、映画版での状況だ。テレビ版だとメガ・ファウナはアーミィの防衛戦を抜けて、ウィルミットにアーミィの首脳陣と会うという独自行動を取っていたが、映画だとアメリア側についてクリムらを援護する形になっている

驚愕すべきは、必殺の武器フォトン・トルピードの威力! 
テレビ版では遭遇戦で敵の一部隊に使われた感じだったが、映画では戦線に穴を受けるほどの破壊力を発揮する。機体に次々と穴を開けていき、最終的には中身ごと消滅させてしまう。テレビではここまで執拗な描写はなかったはずだ
その力はあのマスクに「人殺し!」と叫ばせ、クライマックスの戦闘へ突入するのだ
使った直後の光景には、味方MSの残骸も転がっていて、まさに大量破壊兵器。デレンセンの死以降、なるべく殺さない戦闘を目指したベルリに、この引き金を引かせたのは酷な展開だ
たとえ、意図しない結果であったとして、それをやった責任をどこまで背負うのか。これからどうして行くのか
ちょうど今、ロシアのウクライナ侵攻という事態があって、最新兵器が次々とウクライナへ供与されている状況を考えると、ベルリが引き起こしたことは現実的な問題だし、軍が動いて政治の出番がない情勢もなんともシンクロしているのだ


次作 【映画】『Gのレコンギスタ Ⅴ 死線を越えて』

前作 【映画】『Gのレコンギスタ Ⅲ 宇宙からの遺産』

『アニメを作ることを舐めてはいけない』 富野由悠季

第4部は来年のいつか



『Gのレコンギスタ』において何が考えられたのか。企画立案から製作の実作業、世界設定を支える文化論まで、「創作」に不可欠なエキスを込めた一書

「自分が企画・演出した作品について書くことはやってはいけない」。冒頭から富野節がさく裂だ
ではなぜ書く気になったかというと、話題にならなかったために自分で太鼓を叩くしかなかったという悲しい事情なのだ(つれえ……)
さらに序文で触れられるのが、企画段階から実際の週単位の制作に移った際に、予想以上に内容が厚く、テレビ版は映画製作でいう零号(第一回目の試作)にすぎないという厳しい自己評価
そんな作品をもとに創作について論じようとするのは、『G-レコ』の基本と方向性は間違っておらず、若い世代への響くものになり、映画化を通して完成する作品がよき教本になるという自負があるから
本書では当初の企画から、実際の制作に移る際の変化、スタッフを通して浮上するアイデア、ふとした着想から言葉・シンボルの原点を辿って、厚みのある作品世界の作り上げる作法、そして『G-レコ』に込められた次世代へのメッセージが語られる


1.新しい宇宙世紀

初期の企画で驚いたのは、宇宙エレベーターをてこにして宇宙世紀の書き換えともいえる内容を含んでいることだ
地球環境を守るための宇宙移民などは、ロケットの打ち上げだけで成り立つわけもなく、人と物資を大量に輸送できるインフラが不可欠。とすれば、宇宙移民が始まった時から、宇宙エレベーターは存在していないといけない
しかし、人を宇宙へ上げるためだけに、軌道エレベーターは運営できない。帰りの荷物がなければ、費用対効果的に経済がもたないのだ
そこで、宇宙から人類に必須ともいえる資源(リギルト・センチュリーではフォトン・バッテリー)を調達し、地球へ運ぶ役割を与えたという
ただ宇宙エレベーターには、ミノフスキー・フライトのエンジンが使われていて、宇宙世紀当初からあるとすれば、他作品との技術水準の問題が出てくるだろう(ホワイトベースは地上で飛んでいたけれど)
そんなわけで、どの時点で宇宙エレベーターが建設されたかは、はっきり言及されることはなさそうだ
また、現実で宇宙進出のためのエレベーターは、考えるだにありえず人類はその努力を地球で住み続ける環境を守ることに使うべきなのである


2.説明台詞が多い理由

富野作品の中でも、『G-レコ』は説明台詞の多さが気になる。本来、戦闘中にしゃべっている暇などないと百も承知でしゃべらせるのは、なぜ戦っているのか、誰と戦っているのかを明白にする必要があるからだ
『G-レコ』で目立ってしまうのは、それだけ複雑な状況にキャラクターが置かれているためだろう

 本来、芝居や演劇はもともとが全部、説明セリフの積み上げなのだということを思い出してほしい。
 フィクションであれ、ドキュメンタリー的作品であれ、観客に事情説明しながら、ドラマを説明するものだから、全部のセリフが説明になる。そして、その説明が劇的に昇華されたセリフであれば、劇はスムーズに展開してくれる。ドラマになる。演劇になる。それだけのことだ。(p320-321)

映画的に絵で魅せるのはさることながら、台詞回しが劇の基本と考えているのだ
その一方で、キャラクターの属性を一目で想像させる演出にも心を砕いている。その例に挙げられているのが、ベルリの母ウィルミットの執務室に飾られているカバの剥製であり、ドニエル艦長のシートに描かれた金髪美人のビキニ姿。特にビキニのほうは、シートが動くこともあり、アニメーターに負担をかけたらしい


劇場版は5部作予定であるものの、客入りによっては即打ち切りもありうる。そんな条件下で書かれた本書は、まだ発表されていない4部、5部のシーンについてもいくつか言及されている
劇場版になったときに、キャピタル・タワーのナットなど背景美術が描き直されているところも多く、管理人としては第4部の目的地であるビーナス・グロゥブがいかに仕上げられているかが気になるところだ
「人の分からない作品にではダメ、でも分かりやすいだけの作品でもダメ」と相反する警句が飛び交う本書だが、創作論のみならず、赤裸々な製作過程も告白されていて、単なるファンも楽しめる一書なのである


*23’4/5 加筆修正

見事、完結! → 【映画】『Gのレコンギスタ Ⅰ 行け!コア・ファイター』

【映画】『Gのレコンギスタ Ⅲ 宇宙からの遺産』

今回は、三条通からMOVIX京都へ観に行った
上映する映画館の数は増えたけど、非常事態宣言のせいか、午前9時10分という時間帯だからか、観客は3人しかいなかった。ソーシャル・ディスタンスがはかどるわ~(苦笑)
まあ、放映から2週目を越えれば、やむを得ない状況なのだろうか




第3部は第12話「キャピタル・タワー占拠」から第18話「三日月に乗れ」まで
冒頭はアメリア軍がキャピタル・タワーの聖域である「ザンクト・ボルト」へ急浮上し、それを口実にキャピタル・アーミーも追撃するという慌ただしい展開
この段階で、スルガン長官-クリム・ニックのアメリア軍クンパ・ルシータのキャピタル・アーミー法王-ウィルミット長官のスコード教=キャピタル・ガードの3すくみの状況である。そこへ、月の裏側からトワサンガの艦隊が襲来する!
話を通しでみた人間でも、ぎょっとするほど複雑な状況である
トワサンガに対するアメリアとアーミーの共同戦線が組まれたかと思えば、トワサンガの科学力を見てそれを取り込もうと、アーミーとアメリアが競って月のコロニー、シラノ5へ轡を並べるとか、疾風のように同盟関係も変わっていく
例によって、放送時の記憶は曖昧で追加のシーンには自信がないのだが(汗)、アーミーとアメリアのシラノ5へ入港した際に、トワサンガの首相が挨拶に出てきたのが印象的。キャピタルのように、トワサンガ内でもドレット家が代表する軍部と民間の政府、さらにはドレット家に対抗するレジスタンスなど様々な勢力が存在するのだ
そんなリアルな国際社会のような混沌した情勢が、怒涛の戦闘シーンとともに描かれ、情報量は今までになく多い。アニメだからといって分かりやすく単純化しない、次世代に歴史の教訓を残す意志を感じた

そんな慌ただしい流れのなか、なごむのは巨大なスクリーンでみる宇宙世界
宇宙世紀のコロニーのように地球の自然を人工に再現した聖域「ザンクト・ボルト」シラノ・ベルジュラクの鼻からつけられた「シラノ5」など、もともと映画を意識されていたカット割りが映えている
宇宙のなかで地球環境を再現する技術は、地球人にとってオーバーテクノロジーなのだが、「これが『聖域』かよ」という感想になってしまうのだから残酷な話。同じ人間でも育った環境で、見方が正反対になるのだ
第3部での注目は、やはりベルリとアイーダが実の姉弟と発覚するところ。レイハントン家に仕えたレジスタンスの前では気丈でも、その夜にベルリは泣き叫んでしまう
それを見守るノレドに、カーヒルの一件を許し受け入れるアイーダ。テレビ版だとアイーダが納得するのに、もう1話かかったから、ここらへんは新しく挿入されたシーンだろう。若者たちは大人たちの思惑を振り切って、ビーナス・グロゥブへと旅立つ


次回 【映画】『Gのレコンギスタ Ⅳ 激闘に叫ぶ愛』
前回 【映画】『Gのレコンギスタ Ⅱ ベルリ撃進』

関連記事 【配信】『Gのレコンギスタ』 第12話 「キャピタル・タワー占拠」



『伝説巨神イデオン Ⅲ 発動編』 富野由悠季

ソノラマ文庫版は湖川絵




地球圏から追い出したソロシップ地球連合軍は脅威と見なし、マーシャル・フランクリンの艦隊を出撃。バッフクランのハンニバル・ゲンと手を組んで、共同作戦さえ行ってきた。ソロシップはそれをイデオンガンで退けるが、生まれ故郷からすら敵とみなされた絶望感が残る。その一方で、ソロ星以来の敵だったギジェがクル―に加わり、カララの妊娠が受け入れられるなど、新たな希望も目覚める

いよいよ発動にきてしまった
物語の大筋はアニメと同様で、地球連合軍のマーシャルとバッフクランのハンニバルは共同戦線を張り、イデオンの攻撃で一気に殲滅されてしまう
その最中にギジェが加入するが、小説だとコスモがキッチンを殺すはめになっただけに、殴るぐらいしか感情のやり場がない
コスモもイデに試されているという意識もあるだけに、辛いのだ
そして、ハルルの艦隊と亜空間でニアミスした際に、ソロシップが直接攻撃を受け、フォルモッサ・リンが死亡する(アニメでは、アジアン星で人質にとられ射殺)。シェリルはさらに酒量が増えるが、そんな彼女にギジェは言葉を投げかけるにとどまる
アニメでは相思相愛なので、寸止め(!)は意外。酒の勢いで口説いてはいけないとか、カララの妊娠に嫌悪を感じたり、なかなか人間の性根は治らない
カララの妊娠は希望として受け入れられるものの、小説では心の裏側まで語れてしまうせいで、ムードとしては終末へのニヒリズムが漂う

前巻でイデとは何者かという種は明らかになった。しかし、それをどう受け止めるかは人によって違う
シェリルやギジェといった研究者、インテリは、ある種の機関として捉える。第六文明人の精神集合体であるという原理を理解しているからこそ、イデを善き意志によって制御することに絶望を感じてしまう
コスモやカーシャのような戦闘員にとって、イデは身を守るための兵器。戦闘が大規模化すると、イデオンガンならバッフクランの大艦隊も母星も葬り去れると鼻息が荒い。元来は純粋な少年少女が小説では戦争の論理に染まっていってしまうのだ
小説におけるカーシャの消化の仕方は強烈である。「イデオンが人間の意志を食べ物のように吸いとって存在しているのなら、流星や戦争の被害で飽食するのじゃないのか」
そして、ソロシップに乗っていられたこと自体を選ばれた人間だとして、選民思想すら語って見せる
「独善は時に人を自失させないための道具である」(p169)

その一方で、カーシャはギジェの加入を認めるにあたって、クルーたちはイデのゲージを見て判断したとも。そうなると、ある意味、神様である
人間同士でなく、それ以上の上位者を規定して「何が善か」か問うのでは、一種の宗教
そして、彼女が指摘するように、イデのゲージを見ることができない地球連合軍とバッフクランは分かり合えなかった。上位者の視線がなければ、人は争いを止められないのか
作中のイデは宇宙の生命体を作った、両人類から見て神といえる存在であるが、同時に第六文明人の精神集合体に過ぎない。そんな神の実体を知って、「親離れ」できるか否かが問われているともいえる
ちなみにアニメでは、イデを爆破放棄する「親殺し」を果たそうとしたが、イデが強硬にも拒否。イデも第六文明人のエゴの塊なので存在はしていたいわけで、簡単な解決方法はないのだ
制御しきれず、かといって簡単に排除できない「力」とどう向き合っていくのか、原発事故を体験したばかりの日本人には特に刺さる問いかけである


だいたい書きたいことは書いてしまったけれど、いちおう小説を完走した感想。ページをめくってまず眼をみはったのが、小林誠デザインによるイデオン
まるでナウシカの巨神兵を思わせる有機的なフォルム
角川版の初出が1987年アニメ版の放送が1980年で、ソノラマ版の小説が1982年に出ている
その間にナウシカの放映が1984年、富野アニメでは昆虫を意識したデザインのダンバインが1983年に放送されていて、そうした流れもあるのだろう。しかし、この禍々しさは、映画の『エイリアン』(1979年)だろうか
キャラクターデザインに『赤い光弾ジリオン』の後藤隆幸、とアニメとは少し変わった雰囲気を味わえるのが角川版の良さである

前巻 『伝説巨神イデオン Ⅱ 胎動編』

『伝説巨神イデオン Ⅱ 胎動編』 富野由悠季

社会的都合により、暇になった\(^o^)/
しばらく毎日が日曜日なので、記事の更新も増えていくと思います




ブラジラーの戦いでハルルの艦隊は事実上壊滅した。ソロシップは人類の地球を目指すつもりが、イデの導きか亜空間でハルルのドロワ・ザンに遭遇。そのまま艦隊戦に突入してドロワ・ザンを撃沈した。しかし、脱出したハルルを元恋人のダラム・ズバが救出し、今度はダラムがソロシップ追跡に撃って出るのだった。戦場は植民星アジアン、地球圏へと移っていく

いよいよイデの発現が高まって、バッフクランとの戦いも一段と激しく
カララはハルルの旗艦を沈めることでバッフクランと決別し、ソロシップは植民星アジアンへ向かう。そこでコスモが出会うのが、アニメではキャラル星にいたキッチ・キッチン。小説でキャラルの名は出てくるものの、アジアンのエピソードへ滑り込まれているのだ
しかし、その顛末は大きく異なる。コスモはイデオンに潜入したギジェと激しく争っていたが、不意に現れた人影へ発砲。それがキッチ・キッチンだったのだ!
実際の戦場では誤射は起こりうることだが、なんという結末だろうか
コスモはこのショックと負傷で三日三晩眠り、夢の中でベスがアニメで触れたようなイデの意志と対話する。イデは肉体を嫌う意志のみの存在で、肉体あらばこそというコスモとは噛み合わない
RHマイナスのO型という珍しい血液型だったのでカララが輸血に応じた。バッフクランの血が地球人にも通用するという事実は、ソロシップのクル―を驚かせるのだ
こうした映像作品とは違う展開、可能性未来を見られるのが、ノベライズの醍醐味。アニメでは姿を見せなかったズオウ大帝がハルルに話しかけるとか、バッフクラン側の視点が充実していて、ファンは冥利に尽きる

シェリル地球人とバッフクランが同じ血液型、細胞を持つことから、根が一緒であると推定する。両者がソロ星の遺跡へ吸い寄せられたことから、イデこそが両人類を発生させたというのだ
テレビアニメではここまで踏み込んだ話は出てこなかったはずだ
そして、イデの無限力の源は、感情・知性・五感といった人そのものを形成するものと仮定する
シェリルの台詞を借りて、イデと名付けた所以をギリシア哲学のイデアを引用して説明していく。プラトン→デカルト→カント→ヘーゲルという西洋哲学の系譜に触れつつ、イデア(イデー)という言葉には、世界を大きな統合で捉えようとする執着があるとする。作品の設定にここまで突き詰めてそこにたどり着くのだから、監督の洞察力には恐れ入る
さらに進めたシェリルの推論では、イデのシステムは人間の意志をエネルギーに転化するものであり、イデオンとソロシップはその外観から兵器と考えられる。試作した兵器を作動させると、イデが想像以上のエネルギーを放出したことで第六文明人が滅亡したと考える

「意志の総和がイデという別の意志を作っていくプロセスで、第六文明人そのものの意志をすべて吸いとるだけの吸引力を示して、第六文明人そのものは肉の瓦礫に化して亡びたともいえるわけね」(p257-258)


なぜ、コスモたちはイデオンやソロシップを動かしても自滅しないのか?
パイパー・ルウという赤ん坊による、「純粋防衛本能」という生命の一番基本的な自衛意志が持ち込まれたからで、それがイデを自制させているようなのだ
しかし、人間に邪心、欲望はつきものだし、パイパー・ルウだってやがて大人になっていくわけで……


次巻 『伝説巨神イデオン Ⅲ 発動編』
前巻 『伝説巨神イデオン Ⅰ 覚醒編』

『伝説巨神イデオン Ⅰ 覚醒編』 富野由悠季

カバーのあらすじ、巻頭の資料には「第3文明人」とありますが、「第6文明人」が正解




過去か未来か、今からはるかに離れた時代。宇宙に進出した人類は、新しい植民星「ソロ星」へ植民し、そこでは「第6文明人」の遺跡が発見されていた。流星の被害に悩まされるバッフクランは、その源とみられるソロ星へ調査団を派遣。遺跡を自らの文明を救うイデの無限力に関係すると見ていた。人類とバッフクランはほとんど変わらぬ容姿、精神文化でありながら、その接触は最悪の軍事衝突で始まってしまうのだった

『伝説巨神イデオン』のノベライズ小説。もちろん、作者は富野監督
アニメとは冒頭の入り方が違う。バッフクランの調査隊の視点で始まり、彼らの抱えている事情、社会に触れられているのだ
バッフクランの母星には、トダイ、キョウ・ダイという大学があり、コダン・シャア、イワン・ナミという出版社が存在し、イデの伝説のひとつは『コ・ジッキ』という文献に載っている(爆)。監督なりのサービス精神にしても、バッフクランのモデルは戦前の日本を戯画化しているのは間違いない
アニメの設定とどこまで同じかは分からないが、ギジェはカララの許嫁。イデの調査隊を成功させて、下級武士出身では不可能な、将官への身分上昇をかけていた。それもカララの単独行動から、全てが崩されてしまう
原作で二枚目軍人だったベスは、イデオンに軍を進駐させる際に、シェリルへ「意外とおっぱいが大きい」とかセクハラ攻撃を仕掛ける。清濁併せ持つともいえるが、正直がっかりなハンサムである(笑)
この時点で、バッフクランは流星で数千万人の被害を出していた。ズオウ大帝の築いた階級社会への逼塞感もあって、無限力を欲しがる背景が伝わってくる
本作はアニメで語り切れなかった世界観もフォローされていて、正しくノベライズ小説なのだ

途中で打ち切りとはいえ、39話を3巻にまとめようとするのだから、かなりのハイペースで異なる展開も見られる
ギジェの同僚&ライバルとして登場したダミドは、最初に巨神へ仕掛けた時に戦死!
ソロシップがデスドライブしてソロ星を離れる際には、惑星の数分の1が破壊されて球形を維持できなくなっている。アニメではとんでもない被害が出たのは分かるけれど、生態系壊滅、居住不能と文字で示されると衝撃は大きい
逃げるためとはいえ、イデオンとソロシップがしでかしたことは序盤からすさまじかったのである
デスドライブしたソロシップは、早くも前線基地ブラジラーに到着。アニメでコスモに母性を見せたカミューラ・ランバンは、特にそうした素振りも見せず、ベスの教官という設定もオミットされている
ブラジラーにはハルルの艦隊が押し掛けて、大きな被害を出すがカミューラの生存は不明だ
特筆すべきはイデオンの戦い方。重機動メカを含むハルルの部隊を一瞬のうちに壊滅させてしまう。ミサイル一斉発射でもなく、イデオンソードに近い光線が全方位に放射されたようなのだ
これを見たハルルは即座に撤退を決定、本国への報告を行う。小説のハルルは冷徹ながら優れた指揮である
そして、戦闘を終えたソロシップで起こるのが、パンダ・ロッタによるカララ狙撃事件。ここはアニメ同様の展開を遂げて、バッフクランに爆撃された地球人の感情がある程度、清算される
こうした愛憎入り乱れる修羅場を文章でとらえ直せるのも、ノベライズの醍醐味


次巻 『伝説巨神イデオン Ⅱ 胎動編』

テレビアニメ 【配信】『伝説巨神イデオン』 第1話・第2話

【配信】『伝説巨神イデオン』 第38話・最終話

シェリル「ふふっ、みんなイデが仕組んだのよ。イデが発動したのよ。みんな、みんな、みんな、滅んでしまえばいいんだわ」


<第38話 宇宙の逃亡者>

ジョリバとハタリはイデの力をレーダーに転用し、数十万光年離れた艦隊をもキャッチできる全天宇宙図を作成した。それにより、バッフクランの包囲の手薄なところを突破しようとしたが、バッフクランもまたイデの力をキャッチして追跡を続ける。ハルルは老兵の集団コドモン隊に足止めを命じ、食虫植物の惑星で死闘が始まる

決戦の前の休息に、いろんな男女が絡む
カララはベスを耳かきし、ギジェは妹を失って傷心のシェリルの酒につきあう。カーシャはコスモのパイロット席に寝て、コスモはそっとシーツをかける
そんな睦言のあとには、悲劇が待っていた。善戦していたギジェの機体が吸着する葉っぱにひっかかり、敵の集中攻撃を浴びる
ギジェの死に呼応してイデのゲージは上がり、イデオンソードが発動。なんと、惑星ごと両断し、ハルル以外の戦艦を全滅させてしまった
立て続けに大事な人を失ったシェリルは正気を失っていくのだった


<最終話 コスモスに君と>

カララが産気づいたことで、イデは最後の仕掛けを断行する。カララ(とジョリバ)をバッフクランの旗艦バイラル・ジンへワープさせ、ドバ総司令と対面させたのだ
イデの力の危険を訴えるカララに、「裏切り者が信用できるか」とドバは跳ね除け、カララがベスの子を妊娠していると告げると、怒りの斬撃を見舞うのだった
ジョリバが庇ってなんとか、難を逃れたカララだったが、救援に来たソロシップがバイラル・ジンに特攻を仕掛けて戦闘が始まってしまう

発動のタイミングが意外だった
ドバにカララが斬られて発動かと思ったら、ジョリバが庇ってその場を脱出。宇宙に出てイデオンに救出される瞬間に二人の乗る戦闘機が撃墜されて、ここで発動かと思ったら、それも起こらない
コスモは激怒したのにイデオンは呼応せず、冷静に二人をバリアで保護。そして、ソロシップで無事にこの宙域を脱したときに、イデの発動が起こった!!
なんという時間差攻撃であろう(笑) さっき保護したばかりじゃないか、イデオンさん
何も知らなければ途中まで「俺達の戦いはこれからだ」エンドだと思ってしまうぞ
WIKIによると、最後のイデの発動以外は第39話として残したから、こうしたラストになったようだ。現場があずかり知らないところで、急に打ち切りが決まったということなのだろう


さて、完走した感想を
劇場版「復活編」のイメージに引きずられていたせいか、再発見の多い視聴だった。悲劇をともなうコスモの成長に、異分子のカララを徐々に受け入れるクル―の変化クールな研究者シェリルが人間味を増していくところなど、この年だから理解できる人間ドラマが味わえた
初代『ガンダム』は劇場版のみでもひとつのシリーズとして成立しているが、『イデオン』の「復活編」はあくまで総集編。やはりテレビ版→「発動編」の視聴が王道で、ソロシップを自沈しようとしたエピソードなど見るのと見ないのとでは、「発動編」であの結末にいたる印象がまったく変わってくる
自らの集団と世界の滅びを避けようとベストに近い決断を重ねつつも、怒り、憎しみを捨てきれない人の性が、悲劇の連鎖を生んでしまう。ソロシップの中では和解、高い意識が生まれても、それを違う集団へは伝えられなかったのだ


劇場版を見たあとで、何かまとめの記事を書くかもです


前回 【配信】『伝説巨神イデオン』 第36話・第37話

ノベライズ小説 『伝説巨神イデオン Ⅰ 覚醒編』

【配信】『伝説巨神イデオン』 第36話・第37話

ベス「考えてもみろ。イデのお陰で戦い続け、挙句の果てにみんな滅びたりしてみろ。俺達は間尺に合わんよ」


<第36話 さらばソロシップ>

コントロールが効かなくなってきたイデに対して、ベスたちは地球連合の艦隊と交渉し、ソロシップの自沈を提案する。司令マーシャルはそれを表向きは受け入れて、ベスたちを戦艦クラップへ移したうえで、ソロシップへ工作員を送り込んだ。裏切りを知ったソロシップのクルーは牽制の砲撃を撃つが、そこへバッフクランの艦隊がワープして……

前回で裏切られた地球連合と、いつの間にか再交渉しているという飛躍した展開。そして、再び裏切られることになるという……
ソロシップのクル―たちが、今まで守ってくれてもいたイデオンとソロシップを放棄する決断に到ったのは重要で、自らがイデに取り込まれないためにリスク込みで依存を絶とうとしたのだ
が、各所の起爆装置が作動したにも関わらず、イデはその力でもって爆発そのものを封じてしまった!
ギジェは「我々は切腹することもできないのか」とこぼし、シェリルはソロシップが我々を呼び戻すためにバッフクランを呼び込んだとまで分析する
もはやソロシップからは離れられず、イデの掌に乗るしかないのか


<第37話 憎しみの植民星>

ドバ司令によりバッフクランの全艦隊が動き出し、ソロシップに苛烈な攻撃が加えられる。ワープアウトした先がくしくも苦い思い出が残る、植民星アジアン。ギジェの準光速ミサイルで人口の過半を失ったこの星は、いったんソロシップの着陸を断るが、バッフクランの司令グルダブラの‟要請”で寄港を認めることに。アジアンの代表コモドアは、避難民を人質にとってソロシップを放棄させようした

ここでもまた裏切られた。一度裏切られた相手にふたたびやられるという失敗をなぜ繰り返すのか、とも思うが、それだけソロシップの状況は差し迫っていて、限定的であれ何も信じずには物質的にも精神的にもたないということなのだろう
ベスはこれから続くであろう激しい戦いから遠ざけるため、シェリルやカララを含む非戦闘員をアジアンに降ろすがこれが裏目。人質に取られたフォルモッサ・リンが流れ弾で死んでしまう
ベスとギジェの救出にシェリルは怒りの銃弾をコモドアに撃ち込む!
そして、その怒りに呼応したイデオンはイデオンガンをグルダブラの艦隊に撃ち込んで全滅させてしまった
ラストシーンでは悲しみにくれてソロシップへリンを連れ帰る一行に、廃墟からそれを眺めるアジアンの住民という構図がなんともいえない。同じ犠牲者なのに、埋まらない断絶があるのだ
善き意思が求められる中での、この憎しみの連鎖は何を呼ぶのだろうか


次回 【配信】『伝説巨神イデオン』 第38話・最終話
前回 【配信】『伝説巨神イデオン』 第33話~第35話

【配信】『伝説巨神イデオン』 第33話~第35話

コスモ 「イデオンが『おいでおいで』って言ってるんじゃないの?」


<第33話 ワフト空域の賭け>

亡くなったモエラの後任として、イデオン・ノヴァ(胴体部)ギジェが乗り込むことになった。反対するカーシャたちには、拳銃を持ったパンダ・ロッタを監視につけることで折り合いをつける
一方、バッフクランはルククに補給していたハンニバル・ゲンが艦隊を率いていたが、ドバ司令の指示待ちで後をつけるだけ。逸る部下のメバルルは、エネルギー吸収体のヴァンデが棲むワフト宙域にイデオンを誘い込む作戦を進言する

賭けとは、この間まで敵のエースだったギジェにイデオンのパイロットを任せること
母星である地球に幻滅したからか、カララのおかげでバッフクランへの障壁が薄くなったのか、保守的なカーシャ以外に面と向かって反対するものはいない
監視につけられたパンダ・ロッタも、すでにシェリルに説得された経緯があるのだ
中からイデの力を感じられるのは嬉しいとこぼすギジェだったが、メバルルとの戦いでは不可解な動きをとる。パンダ・ロッタが気絶しているうちに、メバルルに聯絡を取り投降を示唆したのだ
一瞬動きをとめたメバルルのギド・マックに、コスモは一斉攻撃を告げてギジェも連動するが、はたしてギジェの本心は?
コスモは微妙な心理を見透かしてか、コイントスで決着をつけようとする。ギジェを乗せたのも賭けならば、その処分も賭けにしてしまうのだ。デクが言うように、いつの間にかお坊さんになってきたコスモなのであった


<第34話 流星おちる果て>

バッフクランの母星では、ズオウ大帝がドバ総司令の出陣の報告を受けていた。イデの力を手に入れて流星の被害を抑えようと。先行するハンニバルは「出世のチャンス」と鼻息荒く、巨大生物の棲むドウモウ・スターへソロシップを追いこむ作戦をとる
ベスが復帰しないまま、亜空間での戦闘に巻き込まれたソロシップは、まんまとドウモウ・スターへの不時着を余儀なくされて……

イデオンのゲージの不安定さをソロシップの面々は訝しがる
つい「力」だからコントロールできるものと思いがちだが、カララは本質を見抜く。「イデが善き者と悪しき者を判断する事が出来るなら、イデに物を考える力があるわけです」「しかも、その考えがエゴ……つまり、イデの自分勝手な考えで決められるとしたら」
さらに今回はうなされるベスがイデの意志と対峙する重要なシーンがある
「我々には自分を守るために考える力も選ぶ権利もあるのだ」というベスに、イデも自らを(第六文明の)数億人の意思の集合体として、「わが身を守る」「心の在りどころ足る、イデの場を守る権利がある」と、自らの存在を暴露しているのだ。神の如く強大な力を持っていても、その本質は集団の意思が集まったものにすぎない。イデは意志のみの存在になった第六文明人が、自己保存のために築いた最後の砦なのだろうか
ベスは「ともに悩む立場なら全力でより善き道を探すべき」と突きつけるが、イデはかえって戸惑うばかり。そして、パイパー・ルウは大人たちに刺激を受けたのか、「イデ」と言葉が話せるようになっていた
戦いのほうは、巨獣ドウモウの卵を巻き込むバッフクランの戦いぶりに、イデオンの純粋防衛本能が呼応! イデオンソードの一閃で艦隊を撃退した
合体からソードへのムーブはイデ自身の意思で行っており、いよいよコントロールが効かなくなってきた


<第35話 暗黒からの浮上>

ドウモウ・スターで艦隊を失ったハンニバルは、イデが流星被害の原因だとして、地球連合の艦隊に共同戦線をもちかけた。ソロシップは攻めにくいナイト・スターに逃げ込んでおり、イデオンを引き離したうえでソロシップへ準光速ミサイルを撃ち込む必殺の作戦を立てる
多くの部下を亡くしたハンニバルは、起死回生をかけて自ら囮作戦を引き受け、ほぼ成功させるが……

シェリルはギジェにイデオンやソロシップの成分「イデオ・ナイト」について相談。これがイデの源なら、イデオンが削られても力が落ちないのはなぜか
一度、集められた意志は、いつの間にか独り立ちし、コンピュータの自己開発システムのように吸収されてしまうから?
つまり、現時点のイデはすでにソロシップのクル―の意志を吸い込んで、意志決定している可能性があるということなのか。そんなことを言いながら、抱き合う二人なのであった

イデの無限力を恐れる地球連合のフランクリン司令は、ハンニバルと手を組んでソロシップと交戦! 地球との直接対決する事態にベスたちは動揺を隠せない
準光速ミサイルが降り注ぎ、いよいよ絶望が深まるなか、パイパー・ルウが泣きイデオンがソードを発振マエストロのように隕石群を切り刻んでいく
そして、イデオンがマグマに呑まれそうというときには、テレポートしたソロシップがすくい上げ、登場時のような荘厳な浮上シーンが描かれた
こんな光景を見せられれば、神様、仏様、イデ様とならざる得ない
それでもフランクリン司令と同様に、シェリルは「悪魔の力」と断じる。ベスも「イデが我々のコントロールを拒否した」と悲観的だ
その中でギジェは「善き力による、イデの善き顕れ方がある」と楽観的。バッフクランの伝説ではイデは英雄だったことにすがりたくもなる
今回は特に、地球連合の裏切りを知り、さらにイデの発現に驚愕、感動する各シーンでの表情の描写が見事だった


次回 【配信】『伝説巨神イデオン』 第36話・第37話
前回 【配信】『伝説巨神イデオン』 第30話~第32話

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