『民主主義が一度もなかった国・日本』 宮台真司 福山哲郎

自民党が二度と蘇らないと宣告されていたが


民主主義が一度もなかった国・日本 (幻冬舎新書)
宮台 真司 福山 哲郎
幻冬舎
売り上げランキング: 365,466


民主党への政権交代を記念しての社会学者・宮台真司と民主党議員の対談本
「民主主義が一度もなかった」というのは、あまりに順風の時代が続いたので、国民が自分で意思決定する必要がなかったという意味合い。経済の低迷が続くと、利益誘導の政治をやってられないから、何に配分するかの議論を「丸投げ」すると、格差が生じ社会が荒れてしまう。国民の政治参加が不可欠になるのだ
対談相手の福山哲郎議員は、元証券マンで松下政経塾出身で、1998年に参議院京都選挙区で初当選。2009年9月に鳩山内閣の外務副大臣に任命され、本書の対談はこの頃に行われている。2010年6月には菅内閣の官房副長官に就任し、政権中枢にかかわった
民主党を記念しての対談で、宮台氏は自民党をゾンビとしてボロンチョに言うものの、民主党を礼賛するほどでもない。政権交代をあらゆる変革の好機として捉え、鳩山政権の動きからプラスの要素を抽出しようという姿勢だ
専門用語を並べる宮台氏に対し、福山議員が平易な言葉で受け答えするので、『日本の難点』より頭に入りやすい

とかく叩かれがちな鳩山政権だが、成立直後の本書ではその発言を評価されている
二酸化炭素25%削減については、第一次オバマ政権が再生可能エネルギー主体の社会を目指すグリーン・ニューディールに続くもので、国連の演説でも歓迎の拍手を受けたとしている
しかし、新聞などのマスコミは批判的に報じ、テレビでも家計を圧迫するとありえない将来予測がまかり通ったという
とりあえず、ハードルをもうけて技術革新に期待するという発想は、小泉元首相の反原発論に近いか
東アジア共同体に関しては、EUのような理念先行では無理でも、経済という事実の積み重ねからは可能ではないかとする。宮台氏は岡倉天心の亜細亜主義を引いて、強者に立ち向かう弱者の連合という、ゆるい枠組みまで視野に入れる。あまり、アジアの定義にこだわると、排他性を生むジレンマがある
こうした提言は、鳩山首相の発言を好意的に解釈して、現実的な方向性に誘導した感があり、その後の政権の顛末を考えると、どこまで政権のなかに具体像があったかは疑問である(笑)
「普天間基地移転問題」に対しては、外交と憲法の問題に「事情変更の原則」は適用されないと民主党政権に釘を差す。先約があった以上、アメリカに「お願い」する問題なのだ

本書でボロクソに叩かれた自民党の問題とはなんだろう
土建行政で国土を破壊した経世会路線は論外として、小泉改革「市場主義」を導入しながら、機会の平等(同じスタートライン)に配慮しないために、貧困の固定化を招いてしまった。こうした「市場主義」と「権威主義」の組み合わせは、途上国にしか存在しない
宮台氏は宗教社会のない日本には、「市場主義」は無理として、既得権を排した「談合主義」(コーポラティズム)を勧める
ただし、経済がグローバル化する中であって、ある程度の市場主義は避けられず、流動性の高まりをフォローするべく「大きな政府」が求められる
今の安倍自民党は、「市場主義」を是正する方向ではあるけれど、「参加主義」かというと……。日本は階級がない社会なせいか、エリートが庶民に媚びを売り、マスコミもハードルを下げた報道ばかりで上下に緊張感がない


関連記事 『日本の難点』
(この一行は、各記事の最後に固定表示するサンプルです。テンプレートを編集して削除もしくは非表示にしてください。)

『日本の難点』 宮台真司

学生時代はこの人の本を良く読んだ。右から左に抜けてしまったが

日本の難点 (幻冬舎新書)日本の難点 (幻冬舎新書)
(2009/04)
宮台 真司

商品詳細を見る


現代日本はいかなる状態であって、どういったことが必要なのか。人間関係、教育、幸福からアメリカの変化、日本の目指すべき姿まで語る「宮台版・日本の論点」
最初に誰もが抱える、コミュニケーションの問題から始まり、子どもへの教育幸福とは何か、と進む。学生、信者のみならず、普通の人でも入りやすい構成が意識されていて、文章もキモの部分は気さくで分かりやすい
学者の義理で専門用語や引用元の参照、カタカナ言葉の多さなど読みにくい要素もあるが、それも問題を単純化しない誠実さの表れと捉えよう
いじめ問題、早期教育、セクハラといった具体的な問題に対して、明解な論理と処方箋を示すのも宮台流で、考える土台を提供してくれる手軽な一書だ

ひとつの章で様々な議論の前提となるのが、現代は「社会の底が抜けた時代」であるという認識で、ポストモダン=後期近代、「再帰的近代」といった言葉で表現される
再帰的近代はブレア労働党政権のブレーンを務めたアンソニー・ギデンズが提唱したもので、初期の近代化は自然や伝統を文字通り近代化するものだったが、その使命が果たされた後は目的、目標が無くなり手段が目的にならざるえないということらしい
本書では、技術と社会の進展から「流動性と複雑性の増大で自明性が失われた結果、何事につけ《するも選択、せざるも選択》という具合に諒解されざる得なくなった社会」(p117)とされ、共同体の空洞化に抗うのか否か、失われた共同体を再建するか否かが、そこに生きる人間の肩に乗りかかってくる
すでに近代化しているのだから、共同体は個々人の決断のもとにしか残らないのであって、戦後の醜い国土開発も日本人ひとりひとりが共同体をないがしろにしてきた所以というのだ
「小さな政府」対「大きな政府」の命題に対しては、「小さな政府」と「大きな社会」というセットもありうるとし、失業やいじめ、自殺をフォローできる「大きな社会を作ることが肝心であって、「小さな政府」=「小さな社会」という誤解が悲劇を招いたとする
社会からこぼれた人の問題を国家に委ねる「大きな政府」が不可能だとすると、懐の深い社会の建設が必然的に求められるだろう

宮台本を読むのは久しぶりだ。目新しかったのは、教育論における「スゴイ人」という言葉
スゴイ人とは、有無を言わせず人に「感染」(ミメーシス:宗教学の用語)させられる人のことで、言葉ではなくその行動で「利他」を体現する“亀鑑”ともいえる存在
その存在は子どもへの教育やいじめ問題を解決する決め手で、厳然とした態度で事に当たることがいい方向に転がしてくれる
おそらく、著者がいう「市民リーダー」にも求められる性質だろう
日本の目指すべき指針としては、対米中立」「重武装を唱える。「重武装」とは、敵地攻撃能力を持つことである。もちろん、これを実現するのに様々な難関があることは百も承知で、それまでの方便として「対米従属」「軽武装」の従来路線を認める
食糧自給率への警戒感(他国に依存することは戦時ならずとも、外交で減点)や国土の荒廃に対する怒り、柳田國男への言及なども意外で、あとがきのチェ・ゲバラを「スゴイ人」のモデルとして持ち出した!
氏の考えが分かりやすくまとめられているので、宮台社会学の入門書として本書は最適だ


再帰的近代化―近現代における政治、伝統、美的原理再帰的近代化―近現代における政治、伝統、美的原理
(1997/07)
ウルリッヒ ベック、スコット ラッシュ 他

商品詳細を見る
(この一行は、各記事の最後に固定表示するサンプルです。テンプレートを編集して削除もしくは非表示にしてください。)

『おどろきの中国』 橋爪大三郎 大澤真幸 宮台真司

インド人もびっくり!?

おどろきの中国 (講談社現代新書)おどろきの中国 (講談社現代新書)
(2013/02/15)
橋爪 大三郎、大澤 真幸 他

商品詳細を見る


中国を動かす原理とはなんなのか。日本はどう付き合っていけばいいのか。三人の社会学者がディスカッション
奥さんが中国人であり中国研究のスペシャリストでもある橋爪大三郎氏を中心に、宮台、大澤両氏が聞き手に回る形で構成されている
まず第一部において、現代にいたる中国の歴史に触れるのだけど、橋爪氏の語りが大づかみ過ぎるように感じた。朱子学を儒教の純化としたり(実際は仏教等の影響も大きい)、王朝の変遷を同じ類型の再生産と見たりと、いくつかオヤという箇所があった
キリスト本でも叩かれていたが、社会学者で囲むより一人、歴史研究者を入れたほうが良かったかもしれない
ただし第二部以降の近現代に入ると、守備範囲に入ったのか鋭さが増していく
改革解放以前の経済体制や権力構造などにメスが入り、直に体験した中国人の価値観や習慣と照らし合わせた論証にはそれぞれ説得力があった
本書には日本人からは分かりにくい、中国の複雑な事情を理解するヒントが詰まっている

毛沢東と文革に対する評価がなかなか刺激的だ
文革は明らかに失政であるけれど従来の価値観を一掃した面があって、中国人が改革解放以後の市場経済に適応できた一因に数えられる
鄧小平が(政治的な事情はあるにしても)文革を全否定はしていなくて、毛沢東がアメリカに接近したことが改革解放を後押し部分もある
また、文革下でも完全な計画経済ではなくて、生活用品レベルの商品経済は存在していて、小規模での市場経済が機能していた
アーレントの『全体主義の起源』を引いた文革体制の評価では、スターリンの全体主義に比べ秘密警察ではなく紅衛兵などの大衆を動員したところに大きな特徴があって、大衆は毛沢東だけを例外的に聖人の地位において側近に間違いを押し付けて粛清していく
それを天に権威の源におく皇帝の伝統と指摘されていたけれど、歴代の皇帝にとって「歴史」にどう語られるかというのが重かったわけで、毛沢東が儒教的な伝統を一掃した共産党初代皇帝であったために「歴史」の束縛を受けなかったように思えた

本書は現在進行形の答えの出ない問題を扱っている
文革の実態も分からない部分が多いし、改革解放が始まって30余年で今は調子が良くても将来的な評価がどうなるか分からない
「世界の工場」ゆえに世界経済の影響を受けやすく、少子高齢化も大気汚染も急速に進んでいる
日本にいると自国の欠点ばかり目がいって、お隣の方がグローバルに上手く対応しているように見えるけど、向こうにも向こうの事情、弱みがある
どこのボタンを押すと怒るかを知っておくことが大事で、こちらの名分を訴えるだけでは何も解決しない
日本人が「政治」と「経済」「文化」は別と考えても、中国にとっては「政治」は全てに優先しそれはこの先変わらないと思われるので、それを踏まえた上で付き合っていくべきだろう


関連記事 『全体主義の起源 3 全体主義』

小室直樹の中国原論小室直樹の中国原論
(1996/04)
小室 直樹

商品詳細を見る
(この一行は、各記事の最後に固定表示するサンプルです。テンプレートを編集して削除もしくは非表示にしてください。)

『お前が若者を語るな!』 後藤和智

タイトルや帯に挑発的な新書は最近増えているが、だいたいのものは読んでみると中身はおとなしかったりするもの。が、これは違った

おまえが若者を語るな! (角川oneテーマ21 C 154)おまえが若者を語るな! (角川oneテーマ21 C 154)
(2008/09/10)
後藤 和智

商品詳細を見る


文字通り、「若者論」を語る文化人たちに退場勧告をしている。名指しされた面々も錚々たるものだ。宮台真司を筆頭に、香山リカ東浩紀寺脇研鈴木謙介宇野常寛まで・・・
批判されるのは、「若者論」だけでなく論者も含まれるので、若干の人格攻撃もあり

批判の中心となるのは、宮台真司発の「若者論」だ。オウム事件、酒鬼薔薇聖斗事件以後に展開された「若者論」において、「脱社会的存在」という概念を持ちだし、世間に「若者」は「理解不能で、何をするか分からない存在」だとする観念を植え付けてしまったというのだ
批判の対象になっている『終わらない日常を生きろ』や『サイファ覚醒せよ』などが、若い世代全体に流されたメッセージとは思えないが、少年事件に関する氏の活動がそういう影響を世間に与えた可能性はある
というか、「若者論」に関して宮台さんの全盛期はブルセラ論争だと思っていたけど、その後も「ゆとり教育」や石原慎太郎(!?)、後続のサブカル文化人など広汎に影響を与えていたことに驚いた
この本の著者は、オウム事件以後の宮台氏の「若者論」が客観的な根拠やデータで検証されないままに、同世代や次世代のサブカル知識人に継承されてしまい、悪霊のように社会全体に取り憑いていることを批判している

ただ、各々批判されているのは、あくまで「若者論」について。それぞれの他の批評に関しては、さほど手をつけていない。ただ、サブカルと「若者論」を結びつける根拠の希薄さをその都度、指摘するにとどまる
著者は、社会学の基本に立ち返り、統計と客観的な調査を重視した議論すべきとする。まさに正論だが、事が起きてから正しいデータが集まりきるのには時間がかかるわけで、その間に毎回風説が流れるんだよなあ

10’9/17 修正
(この一行は、各記事の最後に固定表示するサンプルです。テンプレートを編集して削除もしくは非表示にしてください。)

追記『結晶世界』 ~宮台本から

バラードの名を知ったのは、宮台真司『終りなき日常を生きろ』(ちくま文庫)から

「60年代SF」の代表として、『ソラリスの陽のもとに』レムとともに取りあげられている。 そこでは、「50年代SF」(ハインライン、アシモフ、クラーク・・・)から、「60年代SF」(バラード、レム、ディック・・・)へのスタンスの変化に触れられている

そこでは、「日常=既知」/「科学=未知」という「50年代SF」的な図式は、「科学=既知」/「日常=未知」という「60年代SF」的な図式へと、置き換えられている。(p104)



こうした「60年代SF」の代表作が、『結晶世界』を含むバラードの「終末三部作」らしい。手塚が描いた近未来都市のような、「50年代SF」のユートピア観は「60年代SF」において崩されていったのだ。

『結晶世界』では、主人公は水晶化した森を「鏡」として自らの日常を映し出しながら、その日常にとどまろうとした。そこに共通するのは、日常から抜け出すことを拒否することこそが倫理的だと見なす感覚である。「50年代SF」的な科学信仰は、日常に向き合えない弱者たちの非倫理的な逃亡の営みに過ぎない――そういう批評意識が見出せるのである。(p105)


この『終りなき日常を生きろ』は、オウム事件直後に終りなき日常への回帰を説いた本なので、そのあたりは気をつけて読まないといけない。「水晶化=逃亡」として見れば、わかりやすくなるのは確かだが
サンダースはスザンヌを助けようと、水晶の森に入る。日常に連れ戻したかったからか? それとも、サンダースが水晶に惹かれていたのか? または、その両方か・・・
少なくとも小説は、倫理意識より、心の揺れに焦点が合っていた
宮台本では、主人公は日常に踏みとどまるとあるが、僕の読んだところ院長に別れの手紙を書いてもう一度、水晶の森に向かう。水晶化を選んでいるようなのである・・・

終わりなき日常を生きろ―オウム完全克服マニュアル (ちくま文庫)終わりなき日常を生きろ―オウム完全克服マニュアル (ちくま文庫)
(1998/03)
宮台 真司

商品詳細を見る


10’10/27 加筆・修正
(この一行は、各記事の最後に固定表示するサンプルです。テンプレートを編集して削除もしくは非表示にしてください。)
(この一行は、各ページ下部に固定表示するサンプルです。テンプレートを編集して削除もしくは非表示にしてください。)
カレンダー
06 | 2017/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
カテゴリ
SF (23)
RSSリンクの表示
リンク
FC2 Blog Ranking
ランキング
アクセスアップ!?
検索フォーム
はてな
この日記のはてなブックマーク数
タグランキング

サイドバー背後固定表示サンプル

サイドバーの背後(下部)に固定表示して、スペースを有効活用できます。(ie6は非対応で固定されません。)

広告を固定表示させる場合、それぞれの規約に抵触しないようご注意ください。

テンプレートを編集すれば、この文章を消去できます。