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『胡蝶の夢』 第4巻 司馬遼太郎

徳島市には関寛斎の石像あり




戊辰の戦争は、蘭方医に数奇な運命をもたらす。鳥羽伏見の戦いに敗れた近藤勇は、江戸に帰り松本良順のもとで治療を受ける。その後も新選組に関わったことで、東軍へ身を投じて会津まで同行する
一方、徳島藩の侍医・関寛斎は、藩が官軍に転じたことから、野戦病院の病院長を務めることとなり、くしくも良順と対峙することに
そして、佐渡に帰らされた伊之助も、幕府瓦解の影響で職をなくし、横浜へと旅立つが……

小説としては、江戸時代が終わるまでを扱い、あとは後日譚として語る感じだった
解説にもある通り、当初は新選組に関わって、賊軍の軍医になったにも関わらず、維新政府に請われて軍医総監になった松本良順を主役にしたと思われるが、それに伴って現れたのが、長崎時代まで助手として関わった島倉伊之助(司馬凌海、父・佐藤泰然の弟子だった関寛斎
良順以上に、浮沈の激しい二人を見つけてしまったせいで、最終巻の後半は彼らの流転に紙数が割かれる
小説全体として見たときに、誰の話かブレてしまった感はあるものの、予想外の形で「胡蝶の夢」を発見してしまった以上、それに傾けざる得なかったのだろう

人間関係に不得手の伊之助は、佐渡でも医者として通用せず、鉱山を調べにきたアメリカ人技師の通訳ぐらいしかやることはない
幕府の崩壊から、佐渡奉行のともに紛れて横浜を目指し、良順の父・佐藤泰然と再会したことで、語学教室を開くように助言を受ける
こと、語学に関して伊之助の才能は天才的で、本場の人間と話したことがないにも関わらず、オランダ語はおろか、英語、ドイツ語、中国語を自由に会話できてしまう
しかし、近代的な生活・倫理についていけず、稼いだ金を遊郭につぎ込み生徒に教科書を高く売る、二日酔いで休んで授業を滞らせるなど、世間に敵を増やしてばかりだった
ヨーロッパの留学生が語学と知識を身に着けて帰り、外国人医官が帰国する時代になると用なしとなった
伊之助肺結核となるが、ポンペの治療を自流で解釈し、熱海の温泉へ出掛けた帰りに旅の疲労から客死してしまう
司馬のあとがきでは、佐渡は島を暖流が囲うように流れ込んで、北陸とは思えない温和な気候。江戸時代は幕府の直轄地で年貢も安く、日本海航路の要衝江戸・上方の優れた文化の影響を受ける、もっとも恵まれた土地だった
現地を訪れた司馬は、「こんな土地で生まれた伊之助は、佐渡を出るべきではなかった」と涙したという

関寛斎も波の激しい人生を送った。官軍の軍医と獅子奮迅の働きをした寛斎だったが、医界の権力闘争に嫌気がさしたのか、すぐに徳島で町医者を始める
庶民に無料で種痘を施すなどして慕われるが、息子が農業学校へ行ったことから、一念発起して北海道へ移住し、広大な牧場を開拓する
しかしトルストイの影響で、土地を共に開拓した人々に譲渡しようとしたことから、米国流の牧場経営をしたい息子や家族と対立し、大正元年に服毒自殺を遂げる
その人柄は、明治の作家・徳富蘆花の評論に残っており、蘆花は「本来なら、(良順のように)男爵軍医総監でもおかしくなかった」と惜しんでいる
この時代の日本の医界は、短期間のうちに漢方→蘭学→イギリス式→ドイツ式と覇権が入れ替わった。その激しい流れは、蘭方医たちをあるときは蝶のように華やかに舞わせ、それが夢であったかのように庶民の海へ戻していく。それを見事に描いた、知られざる名作なのである


前巻 『胡蝶の夢』 第3巻




『胡蝶の夢』 第3巻 司馬遼太郎

幕府の瓦解へ




1862年11月1日ポンペはオランダへ帰国する。松本良順を本国に連れ帰ろうとするが、良順は他の塾生を推薦し、江戸に戻り医学所頭取(東京大学医学部の前身)となる
当時は反りの合わない伊東玄朴が江戸の蘭方医学を仕切っていたが、スキャンダルで失脚。要職についた良順は“将軍後見職”の一橋慶喜、ひいては第14第将軍・徳川家茂の治療も扱うことに
一方の、島倉伊之助はポンペに長崎を追われたあと、平戸の藩医・岡崎等伝に逗留し、その娘を妊娠させてしまう。そこへ祖父・伊右衛門がやってきて、無理やり連れ戻してしまい……

ポンペが帰国するとともに、良順の身辺にも政治の波が押し寄せる
江戸に帰った良順は、医道の風上のおけないと嫌う伊東玄朴に冷や飯を食わされる。しかし、玄朴が養子に花を持たせようと、偽って翻訳者に名を連ねさせたことで失脚し、良順は奥医師へ復帰できた
長崎帰りの名声から、一橋慶喜の治療に呼ばれ、さらには江戸にいる時に新選組局長・近藤勇の知遇を得るなど、一気に政治の世界へ関わっていく
京都では、壬生や西本願寺にいる新選組を訪ね、その衛生習慣の改善を指導。近藤とは一種の侠客としての付き合いで、幕府の衰亡を予測しつつも佐幕派へ肩入れしてしまう
将軍・家茂との関係は、「医者はよるべなき病者の友である」というポンペの教えどおりで、本作の最大のドラマシーンといえよう

島倉伊之助はというと、きわめて動物的に欲望を満たすように行動していく。世間知は一欠片も持ち合わせず、そのときの状況でゴロゴロと流れていく
同じポンペの講義を受けた佐賀平戸藩の岡崎等伝の家に転がり込んで、娘の佳代を妊娠させてしまう。驚いた等伝が伊之助を養子に取ろうとしていたところへ、祖父・島倉伊右衛門が現れて、格上の藩医に掛け合って無理やり佐渡へ帰す
このときの、伊之助のリアクションは人並み外れて薄い!
「胡蝶の夢」のタイトルどおり、佐渡と長崎のとぢらが現実で夢なのか、分からぬ風情であり、どこか他人事なのでる。平戸では学問的な興味を見いだせず、旺盛な性欲をカタギの娘に向けてしまったらしい(苦笑)
ただ知りたいという好奇心が彼の中心であり、岡崎家に捨てられてしまえば、平戸へなんの未練もないといったところ。本作はこの奇人への描写が微細である

その伊之助と仲の良かった関寛斎は、請われて阿波徳島藩の蜂須賀家侍医として召し抱えられる。生涯、町医でいたかった寛斎にはありがた迷惑で、大藩であるだけに他の侍医との付き合いに苦労する
徳島藩東海出身の蜂須賀家が支配者層として君臨して、元三好家の郷士たちへ強権的な支配をしているように描かれるが、『功名が辻』のこともあるのでどこまで真実なのか誇張なのかは分からない
ただ、戦国の三好家の時代に、阿波は上方文化に浴しており、成り上がりの蜂須賀家と反りが合わなかったのはあるかもしれない


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『胡蝶の夢』 第2巻 司馬遼太郎

医学の世界から革命始まる




1857年(安政4年)11月、松本良順は、オランダからやってきたポンペ・ファン・メールデルフォールトを師事して、日本で初めてとなる西洋医学の講義を始めた
江戸では13代将軍・家定の治療を巡って、蘭学医・伊東玄朴が陰に陽に動き回り、奥医師の世界に蘭方医学が解禁される
その一方で、咸臨丸教官カッテンディーケを迎えた長崎の海軍伝習所は、築地の軍艦操練所に吸収され、オランダ人教官は引き上げを余儀なくされた
長崎伝習所内にあるポンペの医学伝習所も岐路に立たされる

海軍教官のカッテンディーケ軍医のポンペがやってきたことで、長崎の海軍伝習所日本で最先端の教育機関となった
それまで蘭学医療は、西洋科学の体系を踏まえずに、本からの情報医者の経験則によって行われていて、外科の技術も師匠から弟子へ伝えられるものだった
ポンペは医学に必要となる基礎的な学問、物理学、化学、解剖学、生物学、病理学までも一人で教え、オランダ語を把握できる松本良順とその受取である島倉伊之助が各藩の塾生に読み下す形で広めていった
ポンペの壁となったのは、江戸時代の身分制度ポンペはオランダ国王の家臣ということで旗本直参の待遇であり、他の塾生もほとんどが士分である
そうした身分の人間が一般庶民を診ることは、社会制度の破壊を意味したのだ
しかし、良順開明派の長崎奉行・岡部駿河守の尽力で、天然痘の予防となる種痘の実施に、コレラの治療に成果をあげ、日本で初めての西洋医学病院となる「小島養生所」(後の長崎大学医学部、長崎大学病院の源流)を建設するに至る。西洋医学の流入は、その社会の背景となる平等思想の浸透につながり、

江戸では将軍の治療を巡り、思わぬ人物が頭角を現す。良順が医で金を稼いでいると、蛇蝎のごとく嫌った伊東玄朴である
伊東玄朴は佐賀藩に籍を置いていたが、思わぬところから将軍の生母・本寿院の耳に評判が入り、大老・井伊直弼に呼び出される。佐賀藩当主の正室は、第11代将軍・家斉の息女で、大奥に玄朴の評判を吹聴していたのだ
家定の死期を予見した玄朴は、井伊直弼の支持を得て、良順の父・良甫ら蘭学医の一団を奥医師へ引き入れたのだった
司馬によって、良順より精密に描写されるのが、主人公の一人、島倉伊之助
天性の記憶力とともに一向に身につかない世間知とのギャップに惹かれるのか、なんでその才能が恐れられつつ、最終的に集団から爪弾きにされるのかを執拗に描いていく
ただただ一直線に学問的関心のみで生きているせいで、ポンペの蔵書を勝手に持ち出してしまい、異邦人の彼にすら不信感をもたれてしまう
良順が「小島養生所」とポンペの講義に忙しく、まずます伊之助の面倒が見られなくなって、急変する世の中とともにどう転がっていくのかに注目だ


次巻 『胡蝶の夢』 第3巻
前巻 『胡蝶の夢』 第1巻

『胡蝶の夢』 第1巻 司馬遼太郎

幕末の医学界




「佐倉順天堂」を開設した佐倉泰然の息子、良順は、幕府奥医師ながら蘭学を修める松本良甫の家に婿入りする。その若い跡取りの助手として、佐渡から連れてこられたのが、異常な記憶力を持つ伊之助。伊之助は忠犬のように良順に従うが、あまりに世渡りと人付き合いが下手で、紆余曲折を経て佐渡へ帰されてしまう
良順は黒船が到来しても、漢方が絶対の奥医師の世界にうんざりし、長崎へ海軍伝習所への“留学”を決意。伊之助を再び佐渡から呼び出すが……

2巻まとめて感想を書こうと思ったけど、あまりに長く内容も濃いので1冊ずつ
医療の視点から幕末から明治の社会を描いた作品ながら、視点となる主人公がかなりマイナー!
順天堂大学の起源となる蘭学塾を開いた佐倉泰然を父に持ち、幕末は幕府陸軍、奥羽列藩同盟の軍医となりながら、明治では陸軍初代軍医総監となる松本良順。脅威的な記憶力と語学力で、日本最初のドイツ語辞典を作った司馬凌海(島倉伊之助)と、本作を読むまでまったく存じ上げなかった人なのだ
日本の近代を準備した“小英雄”が主役なので、その周辺の人々との関係から、自然と江戸の身分制度、佐渡と江戸の風土の違いが浮かび上がってくる
颯爽とした江戸っ子の良順に、変わり者で純朴な伊之助凸凹コンビは、心は通うようで会話がドッジボールという、このぎこちなさに人間関係のリアルを感じてしまう

幕府奥医師の跡取りながら、蘭学を志す良順に立ちはだかるのが、多紀楽真院を始めとする漢方絶対主義の壁
蘭学しか学んでいない良順に漢方の試験を課し、いかに民間や他藩で蘭方医療の有効性が証明されようと幕府内には取り入れない。自分たちの権威が脅かされるからであり、それら多くの侍医は江戸城に控えているだけで扶持をもらう体たらくだった
その医療体制は、第12代将軍・家慶二十数名の子を為したにも関わらず、将軍を継いだ家定を除いて早世するという、異常事態を招いている

伊之助の側から見えてくるのは、江戸時代の細かい身分制度。なにかにつけて上下の別を作って、庶民同士でもマウントをとってくるのだ
同じ松本家の用人でも、些細なことの積み重ねから追い出そうとしてくる
伊之助が育った佐渡は、金山のある天領であり、役人は最小限の人数でまかなっていた。そこでは医者に士分はなく、風通しもいい
江戸には勉学の興味は満たされても、人間的には鬱屈する。伊之助は人の気持ちへの鈍感さも祟って、良順以外の理解者を得られずに苦しむ
彼の苦しみは、現代の日本にも通じるものがあって、なんだかんだ江戸時代の悪弊が今でも残っていると思われるのだ


次巻 『胡蝶の夢』 第2巻

『覇王の家』 司馬遼太郎

『新史 太閤記』と扱っている年代がかぶってた




250年余の長きに渡って日本を統治した“覇王の家”徳川家は、いかにして生まれたか。徳川家康と三河武士の関係を軸に、今川家の人質時代、三方原の戦いから小牧・長久手の戦いまでをたどり、日本人に及ぼした影響を探る

徳川家康という人物が捉えきれないのか、奇妙な小説となっていた
人間の欲望が沸騰していた戦国時代から、大人しい江戸時代の人間が生まれたのは、天下を取った三河武士の気質が影響を及ぼしたのではないか。そして、それは今の日本人の性格にも影響している
そういった仮説から、徳川家康と三河武士の関係を描いていくのだが、主人公にも関わらず家康は不思議な立ち位置にある。信長にしろ、秀吉にしろ、明快なキャラクターをもって登場していたのに、家康に関しては遠くから眺めるような距離があるのだ
三方原の無鉄砲さと石橋を叩いて渡らぬ慎重さが同居し、容易に底が割れない不気味さがどうも小説の主人公として座りが良くない。それは司馬が家康を好きになれなかった理由にもなっているのだろう

尾張国と三河国は現在、同じ愛知県にあっても、戦国時代においてその地域性はだいぶ違う。尾張国河川が密集していて商業が発達し、自然と人間も軽快さと投機性を持ち合わせたのに対して、山がちな三河国堅実で保守的な人間を育んだ
戦国人らしく時勢によって主君を変える尾張衆に対し、三河衆は鎌倉以来の地域内の関係を大事にする。後に天下を制した集団は、実はもっとも時勢に遠い感覚で生きていたというのだ
松平家はもともと山間部の豪族であったが、近隣の酒井家などと連合し、家から英傑が出たときに平野に出て、ようやく大名に近い存在となった。その有り様を遊牧民が農耕民を征服して国家の体を為し始めたと比較するのが面白い
そうした三河武士と家康の関係は単なるご恩と奉公の関係では説明がつかず、信者と教祖(しかも救世主!)に近い。今川家に人質へ出されたときにも、居城の岡崎城を乗っ取ろうとする重臣は現れないのだ
ただそうした熱烈な家臣たちに対して、家康の側も独裁者として振る舞うのではなく、古くからの序列と格式を守った上で操縦している

初出が1973年なので、当然ながら今となっては廃された通説を採用しているところも多い。しかし、そこから掘り下げる読みは侮れない
長男・信康の切腹に関しては、徳姫経由の情報による信長の命令としつつも、酒井忠次が弁解しなかったところに注目。徳川家(松平家)と三河武士の関係を守らない信康に対して、三河衆の代表である忠次が廃嫡を促したとするのだ
家康の正室・築山殿のみならず、信康も人質として駿河で育てられており、三河衆とは縁が薄い。家康も宿老たちと波風立てる後継者を放置できなかった。この部分はリアリティを感じる
また、石川数正の出奔は三河の外の世界を正当に評価できるゆえに、愛郷心と忠誠を疑われて三河衆から追い出された感じで、何やら日本の中小企業体質を思わせる
いろんな華が咲いた江戸時代を、三河武士の作った灰色の時代とするのは短絡的だと思われるが、随所に鋭い洞察があり。作者本人が苦手な題材なのに、なんだかんだ楽しく読ませてもらった


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『新史 太閤記』 司馬遼太郎

続きは『覇王の家』?→扱っている年代は同じでした




寺に奉公へ出されていた“猿”は、高野聖の一団と出会う。商人としての立身をかけて、彼らを追って寺を出たものの、聖たちは三河を通った際に撲殺されてしまう。そこから宛もなく流浪の日々を送った末、織田家の足軽組頭・浅野又右衛門を頼り、若き当主・織田信長の近くに仕えることに。信長は桶狭間の戦いに勝利した後、美濃攻略へ向かい、“猿”は土木技術と調略の才を開花させていく

司馬遼太郎による秀吉の“半生”を描いた『太閤記』
司馬は生まれが大阪だからだろうか、江戸時代とそれを築いた徳川家康に辛く、晩節を汚した豊臣秀吉には甘い。本作では秀吉に甘い所以がストレートに表現されている
対比されるのが、今は同じ愛知県である尾張と三河の地域性の違いで、尾張が豊かな穀倉地帯でかつ、河川が入り乱れる地勢から商業が発達。住む人間も自然と商業の感覚が身について、信長や秀吉といった飛躍した知性を生み出す
対して、三河は篤実な農業国であり、徳川家康ら三河武士の性格そのもので、堅実ながら自己主張が薄い
もし秀吉の天下がなく、そのまま江戸時代になったらその後の日本はどうなっていたか。今の経済大国はなかったのではないか、と言いたげだ
そして晩年の秀吉を描きたくなかったからか、本作は小牧・長久手の戦いの後に、家康を上洛させ天下人の地位を固めた瞬間に幕を閉じる

墨俣一夜城など今となっては、史実ではないとされる話も肯定的に取り上げられている。今浜を「長浜」と改名したように、“大坂”という地名を作ったとか、ノリで書いたようなところもある(蓮如上人の歌が有名なのだが)
初出が1968年であり、今の研究とかなり違ってくるのは致し方ないことだろう
そんな本作の見どころは、偉人たちへの人物評。同じ尾張に生まれた織田信長と豊臣秀吉は、商業感覚から来る軽快さで変化を拒まない。明朗な一方で猜疑心も強い信長に、秀吉は同じレベルの人間と気づかせないように働き、他の同僚にも爪を隠していく
信長と秀吉の手法で大きく違うのは、信長が織田家の領土を膨らませる形で天下を統一しようとしたのに対し、秀吉はより現実路線として大大名の割拠をある程度許し、港や金山など経済の要所を握ることで覇権を維持しようとした(今では、信長も同じような構想を持っていたともされる)
もう一人、近い人間として描かれるのが、腹心となる黒田官兵衛である。先輩軍師である竹中半兵衛が合戦の芸術家とされるのに対し、秀吉同様に調略に長じてキリスト教を通じて旧来の価値観に囚われず、秀吉の発想についてこれる

しかし、秀吉が信長や官兵衛と違うのは、幼少期から底辺の人間や世間を見て歩き、人間の本性を骨の髄から知っていること。野に咲くタンポポを食べて暮らしたゼロ体験は、戦国時代の大名たちが持ち合わせていないものだった
目的のために土下座も辞さない秀吉に、最大の敵・徳川家康も最後には転がされてしまうのだ
秀吉自身もひとつ間違えれば大悪人と自覚しており、ゼロ体験で身につけた酷薄な知恵明朗さで隠しきったのが前半生であり、小説が徳川家康を上洛させたところでピリオドを打つのも、それから後に隠しきれなくなったからだろう
解説には、司馬が「外国人」に読んでもらうつもりで書くというエピソードが取り上げられて、歴史を知らない人間にも入れるよう心がけていたとか。その対比に引き出されているのが、先日読んだ井上靖の『後白河院』で、作家性の違いが興味深かった


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      『覇王の家』

『燃えよ剣』 司馬遼太郎

3回目の再読。でも忘れてることがちらほら


 


武蔵国石田村の百姓に生まれた土方歳三は、天然理心流の近藤勇とともに京へ上る。歳三は京都の治安を任された新選組を、主従関係に頼らない、厳しい隊規に課す近代的組織へ作り上げる。しかし時代の波は容赦なく、鳥羽伏見の戦いから賊軍として追われる立場となるが、今度は洋式軍隊を率い、関東、東北、蝦夷地と戦い続ける

最近映画化された、新選組副長・土方歳三の生涯を追った歴史小説
初出が1962年11月からの連載で、同時期に『竜馬がゆく』も連載されていた。時代に乗って駆け上がる最中に横死した坂本龍馬に対して、近代の流儀に理解を示しながら燃え尽きる戦い続けた歳三。同じ駆け抜けるような短い生涯でも、そのあり様は対照的だ
盟友である作家・陳舜臣の解説によると、さらに中央公論では『新選組血風録』が連載されていて、本人は「男の典型をひとつずつ書いていきたい。そういう動機で私は小説書きになったような気がする」と言っていたとか
俗に明治維新正義の司馬史観というが、本作のように敗者側を主役にした作品も多く、後年のエッセイ群(!)とは違う視点で展望されていたのだ

映画化がきっかけで読み直したので、どうしても比較してしまう
前半のライバルとして現れる七里研之助は、小説だと京で攘夷浪士として歳三を狙いつつ、最後は伊東甲子太郎の依頼で襲撃し返り討ちに遭う。映画だと、池田屋事件で負傷したものの、官軍として長州の奇兵隊に紛れ込み、五稜郭の戦いで土方歳三の死を見届ける
もっとも芹沢鴨をはじめ、いろいろインパクトの大きいキャラクターが多かったせせいか、映画の七里はずいぶん脇に追いやられていた。気づかなかった人もいたのではないだろうか(苦笑)
小説だと、剣術ひとつでのしあがる歳三の鏡像のような存在。お互いに喧嘩屋の延長で京まで上ってきたが、違いは恋患いを筋の悪い俳句にしてしまう愛敬だろうか

前半のヒロインともいえる、憧れの女だった佐絵映画だと出てこない。六社明神の宮司の娘として生まれた彼女は京都の九条家に仕えるが、攘夷浪士と交流するうちに活動家として政争に入り込んでいく。その変貌に歳三を愕然とさせる
対してお雪は江戸の香りを京へ持ち込んでくれる真ヒロイン。鳥羽伏見の戦い後に大阪で、五稜郭の決戦の前に箱館へ現れて、映画でもほぼ忠実にその関係が表現されていた
そして、ラストの単騎での斬りこみは、映画でもそのまま。完全に忘却していたから、映画をなんであんなベタなことを思ったら原作再現だったのだ(苦笑)

新選組という法規を中心にすえる、近代的組織をつくった歳三は、司馬小説の主人公にふさわしい合理主義者。しかし、新選組は600年前の南朝正統論に始まる水戸学、尊王思想の伝統に敗北する
喧嘩の職人である歳三には理解しがたいことだが、この書物のなかに生きてきた思想により徳川慶喜は自滅し、近藤勇も納得して死んでいった。本作は合理主義者を主役としつつ、最終的に不合理が勝利してしまった
司馬が近代日本敗北の原因とした「朱子学イデオロギー」との対峙が、このときから始まっていたのだ


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     『竜馬がゆく』 第1巻

【映画】『燃えよ剣』

坂本龍馬が薩長同盟をまとめたことになってます



土方歳三(=岡田准一)は、五稜郭の戦いを前に自らの人生を回想していた。武蔵国多摩に生まれた歳三は、天然理心流を継いだ近藤勇(=鈴木亮平)ともに武士として名を挙げようと、会津藩が募集した浪士組に参加する。浪士組を指揮する清河八郎(=高嶋政宏)は朝廷を後ろ盾にした攘夷へ豹変するものの、歳三たちは芹沢鴨(=伊藤英明)を通じて分派し新選組が誕生させた。隊士の内紛と粛清、不逞浪士との戦いに明け暮れるなか、歳三は女絵師・お雪(=柴咲コウ)と出会うが……

『関ケ原』の監督さんによる司馬作品の映画化
その『関ケ原』同様に、長編小説の尺を詰めこんだために各エピソードが細かいカットで刻まれていて、どうも落ち着かない。1つ1つのシーンが見事な映像美、演技、演出がなされているのだが、ゆったりと鑑賞できないのだ
場面を短くするより、エピソードを絞ることはできなかったのだろうか
それはともかく、岡田准一をはじめ殺陣はバッチリ。鈴木亮平の近藤勇はさすがの説得力である(眼鏡の山南敬助はアレだけど)
密偵の山崎丞を演じた村本大輔の話芸も場を賑わせ、実際の新選組同様にキャストはタレント揃いで、キャラクターがいかんなく発揮されている
それだけに二部構成ぐらいで、じっくり楽しみたかった

細部のこだわりはさすがで、有名な新選組のユニフォーム、白と浅葱色(水色)の羽織は、最初に登場するのみ。歳三がお雪に依頼したデザインは闇夜に溶ける上下黒ずくめで、夜間の尾行、襲撃における隠密性を重視していた
作中では芹沢鴨とその部下が勝手に採用しようとしたところ、規則と違うと歳三が拒否させており、流布しきった俗説を拒否する本物志向なのだ
ドラマ的には、歳三と近藤勇の友情に焦点。勇は歳三の意図に反して、尊王攘夷の活動家になる側面もあったが、新選組の局長として武士道を体現する存在歳三の作品ともいえた
そんな勇が江戸開城後に出頭したのは、作中では肩に重傷を負い剣を振るえなくなり、武士として切腹すらできなくなったからとしていた
勇を歳三が見送るところが、この作品の白眉だろう
なぜ、新選組や歳三は敗北したのか。勇との別れで突きつけられるのは、水戸学を中心に広まった天皇制イデオロギー。錦の御旗が上がるや、徳川慶喜は戦意を失い、親藩や井伊家のような譜代の筆頭さえ恭順していった
使えると分かれば、洋式軍隊の兵制を躊躇なく取り入れる合理主義者の歳三が、非合理的な因習に敗れるのは、合理が非合理を制す司馬小説の構図が逆転したかのようだった


原作小説 『燃えよ剣』

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『明治維新 司馬史観という過ち』 原田伊織 木村健司

磯田道史も俎上に



明治はほんとうに美しい時代なのか? 司馬史観と実際の歴史の違いを突き、その「官軍史観」に乗っ取った虚像をはぐ!

官軍と維新の成果に疑問を投げかけてきた作家・原田伊織と、瓦版など江戸庶民の文化を研究する学者・森田健司の対談なのだが、原田氏の序文が凄い
「おまえには赤い血が流れていないのだろう!」とスタッフの女性にパワハラ発言したことからスタートし、この本の内容を疑ってしまったが(爆)、残りの99%以上の部分はしごく冷静な対談なのであった
語られる事実もそれぞれは突飛な内容でもない。ちょっと歴史の新書に手を出せば知れる歴史事実が多い
しかし、その積み上げから立ち上がる維新像が刺激的で、「明治維新は正しい近代国家のスタートで美しく、日露戦争以後に狂っていく」という「司馬史観」を解体してしまうのだ

今の歴史教科書は、明治維新を日本近代の原点としている。そうした官軍史観は、幕府を倒した薩長藩閥政府が作ったものであるから、自らを美化し幕府を貶めている
黒船が来航した際に、幕府が対応が後手に回ったというのはとんだ風評被害。実際には国際情勢をそれなりに把握し、1842年の段階で外国船に対する水、食糧、燃料の補給を認める薪水給与令を出していた
そして、ペリーの回顧録でも日本側の評価は悪くない。各国への対応に関しても特定の国を優遇せず、お互いを牽制させるように配慮していた
関税自主権がなかったといっても、明治政府がそれを手にしたのは、日露戦争の後のこと。それをもって幕府を批判するのはおかしいのだ
ロシアのプチャーチンと交渉した川路聖護、横須賀製鉄所を整備した小栗上野介など、幕府には優秀な能吏が多かったが、その優位を崩したのは鳥羽伏見の戦いのあとの徳川慶喜。そこまで政治家として優秀だったのに、なぜに敵前逃亡したか、両氏とも嘆く

司馬小説によって称揚された、三人の人物が本書では裁かれる
まずは、松下村塾で有名な吉田松陰松下村塾自体は玉木文之進のものであり、どこまで松陰が門下に影響を及ぼしたかは謎で、あくまで血気さかんな若者のたまり場ではないかという
とにかく行動してしまえ、という偽陽明学が共通項であり、幕末はテロリスト、維新後は汚職政治家ばかりを生み出したという厳しい評価だ
松陰が持ち上げられた原因は、長州閥の元勲、山県有朋にあり、足軽以下の中間出身というコンプレックスから松下村塾をひとつのブランドにしたかったからでは、とする
二人目は『竜馬がゆく』の主人公、坂本龍馬。そもそも竜馬という少しずらした名前を与えたように、小説は非常にフィクション性が高い。なのに、教科書に載るほどの有名人になってしまった
「薩長同盟」の立役者というが、以前から薩長同士が連絡を取っており、そもそも同盟というほど確かなものではない。グラバー商会から武器を売ったことから、そのエージェントというのが妥当な評価だという
そして、「大政奉還」に関しては土佐藩主・山内容堂の意向そのままであり、「船中八策」などはその出所も怪しく、特に独創的なわけでもないとか
三人目は司馬が「未来から来たかのような近代人」とした勝海舟に対しては、単なるほら吹きという疑惑が(笑)。維新後の回想録『氷川清話』などは、江戸っ子特有の放言癖に、編纂者の歪曲・改竄も多いらしく、史料としては役に立たないとか
ただ森田氏はこうした奇人だからこそ、ただ敗戦処理にすぎないはずの江戸開城交渉で、西郷へ物を言えたのではないかと、胆力を認めている
この三人の共通するのは、自己発信力の高さ。松陰は詩文や書の評価が高く、龍馬は自らの写真を配って、文字通り顔売っていて、そういう人が後世でも人気が高いのである

明治政府を支えたのは、結局のところ、幕臣や賊軍出身の能吏だった。その意味で、「明治は江戸時代の遺産で成り立っていた」という司馬の言葉は正しい
面白いのは西郷隆盛の評価だろうか。西郷の素の性格は掴みづらく、薩摩の若衆制度「二才」が生み出した「二才頭」のキャラクターが仮面として外れない。西郷従道、大山巌なども同じような行動様式をもっているのだ
事を為すために強硬手段も辞さないが、不意に情を出すところが日本人好み理想の「大将」として定着しているのだ。ただ政治家として不向きで、故郷で再び「二才頭」に戻って兵学校の面倒をみている
そんな西郷が立ったのは、明治政府が「武士」という階級を潰し、長州閥が汚職の限りを尽くしていたから。西南戦争は明治維新の矛盾を象徴しているのだ
「権力は金をもたらす」という長州閥の流れは、戦後の保守政権に引き継がれているし、陸軍の暴走は悲惨な敗戦を生み出した。明治を称揚し、昭和初期を「鬼胎の時代」としてそれ以前より切断する「司馬史観」は、この連続性を無視している

まあ、そもそも小説はフィクションであり、実証をあてにされていないものから‟史観”が作られること自体がおかしいのだが、司馬本人が『この国のかたち』などエッセイとしてまとめてしまっているので、その影響力からもこうして裁かれるのは仕方のないところだろう
原田氏の批判も司馬小説を愛読し、リスペクトがあっての話。読みまくっていなければ、ここまで書けない
森田氏が若き日に研究した経済学‟オーストリア学派”の教え、「人間の知性というものを評価し過ぎてはいけない。社会主義というのは、人間の知性に対する‟致命的なうぬぼれ”なのだ」という言葉は歴史にもあてはまり、歴史ファンも心せねばならないだろう


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『功名が辻』 第3巻・第4巻 司馬遼太郎

まさかの結末


 

秀吉の晩年は外へは朝鮮出兵、内では建築熱に明け暮れた。伊右衛門(山内一豊)は、朝鮮行きこそ免れたが、普請を言い渡されて領民に負担を掛けざる得なかった。秀吉の死後、五大老の筆頭である徳川家康は、秀吉の遺言を無視する形で他大名と関係を深め、天下人への道を歩き出す。伊右衛門もその流れに乗って、上杉討伐へ駆り出される。そこへ石田三成の挙兵の報が。ここに生涯最大の決断を下す

第3巻は、秀吉の晩年から関ケ原の戦い前夜
秀吉の晩年は、自制できない老人として描かれ、人妻好きで有名な太閤の魔手は伊右衛門の妻・千代にも迫る。茶室で二人きりを気合でセクハラどまりにとどめるが(現代だと強制わいせつ!?)、同じく千代に懸想していた忍者・六平太幻術をもってチョメチョメしてしまう(爆
これはいくら何でも大河で再現できない展開である(苦笑)
その後は女性主人公の大河らしく、秀吉の正室・寧々との交流が描かれる。秀吉の生前は若々しかった彼女が、出家して高台院となると老け込んでしまう。そして、家康に西の丸を譲って、大坂を出て行くのには、時の流れを感じる得ない
そして、上杉討伐で家康が留守をあけると、石田三成が挙兵して上方の情勢は緊迫。千代は細川ガラシャの死に衝撃を受けつつ、西軍の人質に取られまいと屋敷に薪を積み上げて籠城するのだった


第4巻は、関ケ原の戦いから土佐入府まで
東征中の伊右衛門は千代から密書を受け取って、西軍から書状を封を破らずに家康に届けて誠意を見せた
そして、小山会議では掛川の居城を東軍に解放する大勝負に出る。同じ東海道を治める堀尾忠氏の策を抜け駆けした形になったが、知恵を誇らぬがゆえに良策を素直に採用する‟鈍才”の良さがでた格好だ
この功績により、戦後は土佐24万石へ移封。千代と夢見た一国一城の主についた
ただし、ここからが大変。長曾我部は関ケ原で西軍についたものの、それは成り行き。まともに戦っていない分、敗戦と受け止められない
特に一領具足たち兵農分離の流れから、武士から農民に落とされてしまうと猛反発。伊右衛門が土佐に入れないほどの騒動となってしまうのだ

さて、小説におけるここの描写が大問題。伊右衛門が土佐へ入って以降、反乱分子である一領具足たちを弾圧し、言うことを聞かない彼を千代が非難する場面が続く
そしてクライマックスが、種崎浜の相撲大会にかこつけて、力自慢の一領具足の指導者を集めての虐殺! 千代は伊右衛門が一国を預かる器でなかったばっかりに、「千代と伊右衛門の夢は土佐の領民を殺す結果に終わった」と嘆いて物語の幕が下りる。いわば、伊右衛門、山内一豊は千代が生涯をもって作り上げた作品であり、失敗であったというのだ。まさかまさかのバッドエンドである(苦笑)
そこには『竜馬がゆく』で語られた土佐藩士と長曾我部由来の郷士との階級対立へつながっていくという史観がある
しかし、種崎浜の相撲大会はあくまでフィクション。相撲大会へ見物に来た手配中の一領具足を捕まえた話はあるらしいが、一領具足を農民ではなく郷士とする試みは伊右衛門の代から始まっているようで、武断一辺倒ではなかった。これでは山内家が怒るのも無理はない
作中の一豊像は、ヒロイン(というか主人公)の千代をエラく見せるための演出であり、かなり差し引いて見るべきだろう


司馬小説らしからぬ講談よりなエピソードの採用や、おりんが完全にフェードアウトするなど忍者成分がさばけていない部分はあるものの、その時々の夫婦のやりとりには楽しませてもらった
女が前に出られない武家の世界。夫を出世させることで、夢を実現するという方向性は、武将の嫁を主役にする大河ドラマの典型
千代から見た伊右衛門の観察、平凡な夫を見る妻の辛辣な視線というのは、普通の男の作家が書けないものであり、実生活で感じるものがあったのだろうか(笑)
永井路子の解説によると、主人公に千代を選んだのは、草莽から立ち上がった人々を描きたかったからと本人から聞いたそうだ。秀吉の妻・寧々、前田利家の妻・おまつもこの層に入り、特に千代の夫・伊右衛門農民が畑を耕すように、着実に出世の階段を上っていた。その姿は高度成長期のサラリーマンと重ねられるだろうし、中間管理職の苦労は今の世にも通じるものがあることだろう


前巻 『功名が辻』 第1巻・第2巻

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