後に「新しい教科書をつくる会」で有名になったニーチェ研究者・西尾幹二によるソ連紀行
年代は1977年のブレジネフ政権下で、経済が停滞しつつもソ連がもっとも安定していた時代とされる
日本文芸家協会とソ連作家同盟との交流で、毎年の三人の文学者が親善旅行に招待されていていて、著者は作家の加賀乙彦、高井有一とともに1977年9月から一ヶ月間、各地を旅することになった
タイトルは“対話”となっているが、相手がソ連のインテリなので建て前論に終始しやすく、なかなか本音を引き出せない。せいぜい、なんでそんな建て前を守らねばならないか、推測するのが関の山だ
しかし、著者のイデオロギーにこだわらない、ロシア帝国との連続でソ連を歴史的に解釈する視点は鋭く、低迷する管理社会に耐えて「なにかを待つ」ロシア人の精神を捉えていた
文章も堅めの内容ながら分かりやすく、「つくる会」嫌いの人も気にせずに読めるはずだ
1.公務員化した作家たち
著者は社会主義になんらシンパシーをもたない人なので、自然とソ連の体制には批判的になる
招待してくれたソ連作家同盟は国費で文化人を養う組織で、約8500人の作家が所属し、それぞれ一定の発行部数と収入が保証されている。闇で流通し黙認されている“サミズダート”などの例を除けば、ソ連における作家は公務員と化しているのだ
ソ連の担当者は西側より文学に親しんでいる人間が多いと、統計的数字を上げて誇示するが、ソ連には大衆文学と芸術文学との境界がないので、実情は分からない
ソ連の文学はソルジェニーツィンなどの例外を除き、お寒い状況だったという。半ば政治宣伝のために作家たちは養われ、工業製品的に作品が流通しているかのようだ
著者一行が国に生活を保障されて良い作品が生まれるか、と問いかけると、相手が半ば認めてしまった(苦笑)
一行を出迎えるガイドや担当者たちは、批判を真っ向から受けず、うまく受け流す。意外に柔軟なクレーマー対応である
2.敎育では熾烈な競争
「社会主義国家=どこまでも平等」とイメージを持つが、必ずしもそうではない
たとえば教育では大学、党員を目指した日本顔負けの受験戦争が起きている。物理学などの理系分野ではセンター試験ならぬ全国コンクールが行われ、上位者にはエリートとしての将来が約束される
小中学校では、成績上位者にメダルが授与されるなど競争に駆り立てる仕組みがあって、著者は戦前の日本に近いとすら言う
おそらく、身分上昇する機会が勉強やスポーツなど学生時代に限られているからだろう
その一方で、完全雇用を実現するため、ある職場には無理に不必要な人員を雇うなど、効率性の悪さも目立つ。結果、週に二日しか働けない人ができ、普通に働ける職業とは格差が生じてしまう
3.本質は道義国家
印象的なのが、唯物論を掲げるのに「社会主義は人間の心を大事にする」と言いはること
この時代のソ連は資本主義のある部分の優位を認めつつも、道義において社会主義は清潔であるとする
ソ連は精神の優越を説く「道義国家」でもあるのだ。ただし、その道義を守るために鞭が振るわれる
著者はそこにソ連人の後進国意識を見、ロシア帝国との連続性を指摘する
人間関係においても、公務員社会であるからか自分の職務の範囲では、相手の事情など一切考慮せずに強権を振るい、振るわれる相手も大人しく従う。狭い一角ごとに小皇帝と奴隷がいるようで、アメリカに亡命したソルジェニーツィンすら、そんな調子だったそうだから根は深い
こういう耐える社会ではなかなか変化が起こらないが、いずれはたまりたまったエネルギーが革命として噴出し社会を転覆してしまうのだ
直に接した経験値からすると、佐藤優の本に分はあるが、たった一ヶ月のガイド付き見聞にしては深い
*23’6/23 加筆修正