fc2ブログ

【配信】『アイリッシュマン』(2019)

なぜか、ショーン・ペンが出演しているという怪情報が流れていた。ジョー・ペシと間違えたのか?



全て英語の輸入盤。日本語字幕や吹き替えされた版は現状ないらしい

1950年代、フィラデルフィア。アイルランド系アメリカ人のフランク・シーラン(=ロバート・デ・ニーロ)はトラック運転手だったが、イタリア系マフィアに品を横流ししていた。窃盗の罪に問われたシーランは組合の弁護士に無罪にしてもらい、ブファリーノ・ファミリーのドン、ラッセル(=ジョー・ペシ)と面識を得る。ラッセルのもとで“運び屋”や殺しの仕事を請け負っていたが、全米トラック運転手組合“チームスターズ”の長であるジミー・ホッファ(=アル・パチーノ)に派遣される。ワンマンのジミーとも厚い信頼関係を築くも、時代の流れのなか歯車が狂っていく……

実家のNETFLIXで鑑賞した。アメリカで高い評価を受けたそうだが、少し冗長に感じてしまった
主役はアイルランド系ながらイタリア・マフィアで特殊な地位を築いた“アイリッシュマン”シーランと、そのボスであるラッセル。そして、運転手組合の支配者として時の政治・行政に影響力を及ぼしたジミー・ホッファ
ジミー・ホッファが1975年に謎の失踪をした事件が題材に使われ、三人ともが実在の人物だ。映画はフランク・シーランが自身の犯行を告白した伝記本を元にしている
かつて第二次大戦でイタリアの戦場に従軍し、その奇縁からシーランはラッセルのファミリーに入り、うだつが上がらない運転手から側近に引き立てられる。ラッセルの指示でジミー・ホッファの用心棒となると、彼とも盟友となる
しかし、ジミーは自身が刑務所で冷や飯を食っている間に、傀儡の委員長フィッツシモンズが地位を固めたことに怒る。他のマフィアたちもうるさいジミーより、操りやすいフィッツシモンズを望んだのだ
怒れるジミーは味方のマフィアにも暴言を吐き、ついに冷静なラッセルもさじを投げた。ヤクザ風にいえば、シーランは親同然のラッセルと、兄弟分のジミーの板挟みであり、男と男の友情、それがねじり合うことによる苦衷が本作のテーマである

それでもやや冗長に感じてしまったのは、ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ、ジョー・ペシのやり取りに依存し過ぎているからだろう
リアル志向でアクションも地味だし、役者以外に華がない。3時間半をこれで埋められるのは辛く、あくびこそ出ないけど観る側の集中力をもたせるのが大変
役者の演技を味わえるように、ゆったりとしたリズムなのは歓迎ながら、アクセントがもう少し欲しかった。スコセッシの映画でそんなことを感じたのは初めてなので、劇場限定でなくネット配信に流れたのが関係しているのかもしれない
下敷きになっている往年の大作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』も同じぐらいの長丁場だけど、もっとキレ味が良かったものなのだ
映画というよりテレビドラマ4話分と思って見たほうが、しっくり来るのである
もう一つはシーランと娘ペギーとの葛藤に尺を割いたこと。これを盛り込んだことによって、ドラマの焦点が分散してしまった
山場であるジミーの暗殺後も、シーランの寂しい老後が続くのでこれもまた間延びに感じてしまう
本作は劇場用に製作が始まりながら、制作費の膨張からネット配信に流れた事情がある。NETFLIXとしては作品の出来がどうあれ話題性があって会員が増えればよいのだろうけど、配信サイトの存在が映画にいかなる影響を与えるのか、気になる前例である


*23’5/4 加筆修正



【DVD】『未来世紀ブラジル』(1985)

明るいブラックジョーク




20世紀のどこかの国では、完全な情報統制による管理社会が実現していた。その中心である情報省は、手配中のタトル(=ロバート・デ・ニーロ)をバトルの綴りと間違えたことで、無実のバトル氏(=ブライアン・ミラー)を拘留してしまう。情報省の若手官僚サム・ラウリー(=ジョナサン・プライス)は、バトル夫人から尋問手数料を徴収するためにスラム街に訪れたが、真上の部屋にいたジル(=キム・グライスト)に一目惚れ。しかし、ジルにはバトル氏の誤認逮捕を見たために、当局の容疑がかかっていた

何ブラジルか忘れていて、ずっと借りそびれていた
近未来の管理社会を描くSF物ながら、製作された年にちなんでか(放映は1985年)、ジョージ・オーウェルの小説『1984』をヒントに現代的な要素を吹き込んだ、1984年版『1984』がコンセプトだそうだ
監督の趣味なのか、情報省の官僚たちは昔風のスーツを着込み、町を歩く人々も80年代より一昔前の装いでいる。それと風呂で見られるテレビ、ダクトによる手紙のやり取り、家事の自動化など、古典的SF小説が描いたベタな未来技術との組み合わせが、独特の世界観を作りあげている
こうした小説的未来だからこそ、古びない寓話として存在感を保っている
映画放映から30年経った今、上述の未来技術も違う形(タブレット、電子メール、掃除ロボット)で実現していて、それはそれで未来でも過去でもない並行世界を見たような感覚になった

ジョージ・オーウェルの小説との違いは、「偉大な兄弟」なしに管理社会が成立しているところだろうか
情報省の長官はその名もヘルプマン(=ピーター・ヴォーン)。彼はカリスマ的独裁者でもなく、社会の一員としてその要求を果たすべく行動する官吏にすぎない。本作の世界にはアイヒマンしかいないのだ
管理社会をつくり上げるのは、利便性を追求する市民社会にある。いつまでも若くいたいから整形手術が発達し、完全な安心が欲しいから警察権力が拡大する
整形を繰り返す主人公の母はそうした市民の象徴ともいえ、ヒロインの体を乗っ取って若者と戯れる場面など、この上ない悪夢といえよう
もっとも文明の利器に浸れる市民がいる一方で、その割を食ってダクトに囲まれた生活を強いられる下層民もいる。しかし階級がそのまま自由を保障するわけでもなく、主人公のように特権階級でも社会的都合で抹殺されることもある
社会のイデオロギーに逆らえば、誰でも地獄に落とされるのが全体主義社会なのだ

監督が役人に恨みでもあるのか、これでもかと官僚制の弊害が描かれる
作品の情報省を始めとする役人は、管轄以外のことにはまったく関わらず、銃撃戦をしている最中ですら自分の職務に専念している。ややこしいことになると、他の部署にたらいまわしにしたり、必要書類の不備を口実に追い払ってしまう
印象的になのが、情報剥奪局に移ったばかりの主人公が隣室の同僚と机を奪い合う場面。限られたリソースで与えられた仕事をこなすのが彼らにとって全てで、保身のために妥協しない
しかし、その管理社会を司る彼らも、それを強いられるように管理されているにすぎない
ここまで官僚の陰湿さを描いていくと、退屈な社会派に陥りそうなものだが、モンティパイソンのギャグセンスで官僚社会の馬鹿らしさを朗らかに見せてくれる

情報省での自分に疑いを感じなかった主人公も、ジルをきっかけにその弊害を実感するようになり、いつしか暴発的な自由に惹かれて行く
彼にとって憧れの存在にタトルは、ただの暖房設備のエンジニアだが、当局の行き過ぎた規制からその修理を脱法行為と受け取られ、テロリストとして認識されてしまう
いわば法律の厳格さが犯罪者を生み、過剰な管理社会がテロリストを作る。恐怖政治(テロ)がテロリストを生むのだ
『1984』のモデルであるソ連が健在な時代に、民主主義社会においても情報管理からの全体主義がありうると具体的に示したことは画期的で、対テロ戦争のアメリカなどで現実化した国家による個人情報の管理や監視体制を不幸にも予見してしまった作品といえよう

【DVD】『エンゼル・ハート』(1987)

あかん、オチを書いてまう




1955年のニューヨーク。私立探偵ハリー・エンゼル(=ミッキー・ローク)は、謎めいた紳士ルイス・サイファー(=ロバート・デ・ニーロ)から依頼を受ける。失踪した有名歌手ジョニー・フェイバリットを探して欲しいというのだ。ジョニーは1943年にアフリカ戦線から戦争神経症で帰国していたが、病院から姿を消していた。捜索するハリーの行く手には、数々の殺人事件が起き続けて……

子どもの頃に何度か観て、記憶に残っていた映画。やはり、面白い
原作の舞台はニューヨークのみらしく、南部ニューオリンズを入れたのは監督アラン・パーカーの意向で、ブードゥー教の要素を取り入れるためだろう
物語は他人を追いかけているはずが、実は自分が追いかけられていて、主人公は過去の行いを自分自身によって暴かれるという因果応報。自分の意識が預かり知らぬところで、もう一つの自分が動いているという恐怖を描いている
ブードゥー教、悪魔崇拝といったオカルトギミック、鮮血と心臓が飛び出すグロシーンもあるものの、ジキルとハイドな二重人格のホラーなのだ

ブードゥー教はアメリカ南部、ラテンアメリカの黒人奴隷に信仰された民間宗教なのだが、自由の国アメリカでもかなり屈折した歴史を持っている
黒人の宗教であるブードゥーは白人による弾圧を受け続けて、身を守るためにキリスト教の外見的に取り入れて、神話の中に聖母マリアや聖人も登場させた
冒頭にある黒人の教会で、黒人牧師が異様な説教を行ったり、悪魔崇拝のような祭壇が隠してあるのは、似非キリスト教に対する揶揄と受け取れる
キリスト教的外見を手に入れても、ブードゥーは20世紀にいたるまで非合法化状態のまま迫害され、ハリウッド映画でイメージダウンが意図的に行われたようで、それが今のゾンビものにつながっていく
この映画が公開されたのが1987年ちょうど、アメリカでブードゥーが合法化された年なのだが、ハリウッドには関係なかったようだ




【DVD】『ヒート』(1995)

親日の覆面レスラーを思い出す題名
ナタリー・ポートマンがまだちっちゃい




白昼に現金輸送車が襲われた。しかし、盗まれたのは、保険がかけられた債券のみ。一目プロの犯行と見抜いた警部ヴィンセント(=アル・パチーノ)は、犯罪者グループを率いるニール(=ロバート・デ・ニーロ)を嗅ぎつけるのだった。追いかける側、追われる側の背景を濃厚に描く、2時間57分の大長編アクション

一つ前に見た作品より長い尺だったので、中だるみを心配したがなんの心配もなかった
序盤は昔の刑事ドラマを思わせる硬質の作りで、淡々と話が進んでいく。最初の現金輸送車を襲う場面ですら、映画的な過剰さがない。無駄なシーン、間が一つもなく収まっていく
しかも、日常の騒音にしろ、銃声にしろ、地味に締めているので、視聴する側は自然体で映画で引き込まれていく
最初の一時間は過ぎてみると、あっという間だった
監督のマイケル・マンは、テレビドラマ出身で『マイアミ・バイス』という刑事ドラマのシリーズで有名らしい。この映画も、自身が監督したテレビ映画『メイド・イン・L.A. Made In L.A. 』のリメイクだそうだ
ならば、この静かに誘う序盤も納得

中盤になりヴィンセント、ニールの互いがそれぞれの存在を確認し合うようになると、演出も映画らしくヒートしてくる
中盤のヤマ場が、せっぱ詰まったニール達が行なう銀行強盗の場面
今まで現実的な規模で行なわれた駆け引きが、突如ハリウッドらしい大迫力の銃撃戦に発展する。サブマンシンガンやショットガンの撃ち合い、逃げまどう群衆は、映画史に残るほどではと思うほど。CGを感じさせない作りが、迫真を生んでいる
誰がどこに銃口を向け、誰にどこが見えているか、はっきりしないところも、混沌とした現場の感覚を上手く演出していた
余りに盛り上がるので、ここで決着をついても良かったぐらいだ

最後の40分近くは、格好良く決着をつけるためだけに構成された感あり
ニールが恋人イーディ(=エイミー・ブレネマン)を車に待たせて、裏切り者を始末にいくところは、彼の人生を象徴させようとした作り手の意図が見えすぎた
それでもちゃんと、格好良く締めるのだから、「だが、それがいい」なわけだが
ニールの仲間のエピソードを割愛した方がすっきりしたとは思うけど、野暮に点数をつければ、99.999・・・と延々と9が続きそうな名作なのは間違いない
ツタヤランキング一位は伊達ではなかった




【DVD】『グッド・シェパード』(2006)

近所のツタヤでは三日間の100円レンタルと共に、書籍へのTポイント適応が始まった
昨日はその記念でTポイントが5倍扱いになるということで、もう少し後に買うつもりだった本を前倒しで購入
また、積読が増えたがな

*あれから10年、最近はツタヤの店舗そのものを見かけなくなる事態に。完全にポイントビジネス主体へ




1961年、ピッグス湾の作戦がソ連側に漏れ、CIAの権威は汚泥に塗れた。内通者の存在が疑われ、作戦の責任者エドワード・ウィルソン(=マット・デイモン)もその対象として扱われた。そんな中、ウィルソンの自宅に謎のビデオテープが投函された。ビデオの中には、内通者と女スパイとおぼしき影が体を合わせていて・・・戦前のOSS時代からピッグス湾事件までのCIA創成期を振り返る大作

2時間48分と長い尺の映画で、かつ全体が重厚で地味。それでいてなぜか退屈はない
一つ一つのシーンが手際よく積み重ねられているからだ。細かい伏線も意外なところで、うまく回収していく
役者の演技を重視する監督デ・ニーロの意向を、老練なスタッフ陣が上手くくみ取ったというところか
しかし、名作というにはちょっと届かない
シナリオプロットを組み立てる段階の問題だろうか。投入するネタが多すぎて、この尺にして消化するのに手間取っているのだ
普通のハリウッド映画であるまじき首尾であり、高密度すぎる展開をシーンごとの良さでかろうじてカヴァーしている感がある。1940年代と60年代の場面を往還させる手管も、後半は年代の間が縮まったことで分かりにくくなってしまった
見終わった後の感触は悪くないが、全体を振り返ると贅肉の多さを感じずにいられない。ヤマが多すぎて、どれが本筋かはっきりしないのも勿体なかった

スパイ映画の問題のひとつに、どこまでガチにするかがある
例えば、CIAは基本的に現地のエージェントに積極的な工作をやらせる。表だってCIAだと分かってしまっては、外交問題になってしまうからだ
かといって、完全に黒幕的な振舞に終始しては、映画的な面白みを欠く
本作の場合は、OSS時代は創成期ゆえに主人公を矢面に立たせることにし、ピッグス湾事件時はCIA組織内の内通者捜しをさせることで、主人公を違和感なく動かすことに成功している
作中のCIAについては、情報公開が進んだせいか、意外に突き放されていた
ピッグス湾事件南米工作ソ連スパイ偽装組織内の内通者など実際にあったCIAの失敗を取り上げ、創成期において白人エリートの秘密結社スカル・アンド・ボーンズとのつながりを強調するところ、60年代を題材としながらもアメリカの実情を撮ろうとしているかのようだ
息子の花嫁に対してライヴァルから送られた台詞は、自由の国にとって重い

アンジーの最初の登場シーンには、驚愕した
学生時代につきスッピンに近いメイクなのだろうが、その仏頂面はまさに“女シュワちゃん状態”(笑)なのだ。本人の意向もあるにしろ、周囲が誰も止めなかったのだろうか
後の奥様時代を演じる妖艶なアンジーとは、余りにかけ離れた姿である。知らない人は、同一人物と気づかないレベルだ
『17歳のカルテ』から好きな女優なだけに、「アンジー、女優としてそれはあかんで」と叫ばざるえない


関連記事 『CIA秘録』

『グッドフェローズ』を借りたが・・・

DVDのsideBが再生できない・・・Orz
sideAが終わったら、裏返すのでいいんだよなあ
そのままじゃ、再生が止まったままだし
sideAの時はできて、Bが駄目ってことは借りたDVDの裏面が汚れているだろうか
それとも、古いDVDの形式だから、ドライブが対応していないのだろうか?
PS2で試しても、B面は反応してくれなかったのだが・・・


両面でレコーダーによって再生できないという嘆きの声が上がっている。注意!

とにかく前半は、主人公ヘンリー・ヒル(=レイ・リオッタ)がチンピラからマフィアの幹部に成り上がり、マフィアの刹那的な生き方や影に身につまされようか?というところで終わった
ロバート・デ・ニーロは街の一角を牛耳るカリスマ、ジェームズ・コンウェイを演じているが、主役というよりはバイプレーヤーという立ち位置だった
話はヘンリーの相棒が発作的な殺人を犯して、どうなるってところでsideAは終わっちゃった
仕方ないので、sideAを吹き替えで見直した
ロバート・デ・ニーロの吹き替えは、昨日亡くなった野沢那智がやっているのだ
いつもの那智さんの調子で、字幕との落差に泣き笑った・・・

ニューヨークの片隅が舞台なので少しローカルなスケールではあるが、質はいい
最新のDVDの方では、いちいち裏返さなくても見られるのだろうか
まあ、見られるのが普通だよなあ
そもそも裏返す必要のあるDVDなんて初めてだ
余りにも先が気になるので、購入まで考えよっと



BD版なら問題ない模様


*23’5/12 加筆修正

【DVD】『タクシードライバー』(1976)

タクシー・ドライバー 苦労人と見えて
あたしの泣き顔 見て見ぬふり




ベトナム帰りの元海兵隊という称する青年トラビス(=ロバート・デ・ニーロ)は、タクシー会社に勤めることにする。週6日の12時間という仕事漬けの生活を飽いた彼は、ロビー活動を手伝う知的な女性ベッツィー(=シビル・シェパード)に恋し、積極的にアプローチをかけるが・・・

デ・ニーロが若い!でも笑い方はこの頃から特徴がある。細かい仕草からその後の作品の演技まで思い出されて、ニヤニヤしながら見ていた
役自体は暗鬱な青年だ。彼の精神を視点にして、社会の病んだ部分を彷徨する話だから、ストーリーは相当暗い。正直、デ・ニーロがやっていなかったら見てられないところだ
映画としては悪くないんだけど、余りに尖った作り。盛り上がりが薄く、どんどんどんどん闇に沈み込んでいく
名作には違いないが、見るモチベーションとなる物がすくない視聴者の忍耐が試されるという困った映画なのだ
数少ないモチベーションは、13歳で娼婦役を演じたジョディ・フォスター。もうこの時点で存在感が違う。デ・ニーロと全く拮抗している。大物は最初から大物か


1.テロリストの肖像

タクシードライバーのトラビスは言うまでもなく底辺に位置する人間だ。若い彼は同僚たちとは違い、彼なりの上昇志向がある。社会に対してもっと改善したいという望みもあれば、いい女と付きあいたいという欲もある
しかし、理想の女性に振られて鼻をへし折られ、再び孤独に陥った彼に狂った情熱にとりつかれる。失恋という個人的な事情と社会悪とを結びつけ、無理矢理敵を作り正義を実行するカウ・ボーイとなろうとする。苛立ちや寂しさから逃れるため、自らを違う人間に仕立て上げようとするのだ
この映画は、このように不器用な青年が犯罪やテロに走る様を丹念に描いている。トラビスが嬉しそうにテロの準備をし、鏡に向かってカウボーイの真似をしているところはやばいぐらいリアルなんだ
そういう緻密な演出のゆえか、レーガン大統領暗殺未遂の犯人がこの映画の影響を受けたという話もある


2.犯罪者と英雄は紙一重

この映画はただテロリスト志願の男を描いただけではないところに真骨頂がある
トラビスは政治家を狙ったテロに失敗して、代りに少女を売春させるマフィアたちを銃で撃ち殺していく。それはもうただの殺人なんだけど、事件が終わってみれば新聞各社は少女を救った英雄として扱うのだな
法が届かぬところで私刑が容認される。少々誇張があれど、これが銃社会の現実なのだ
英雄とテロリストや犯罪者が紙一重って・・・この社会の問題を最後に浮き彫りにさせたところにこの映画の値打ちがあると思う


*23’5/15 加筆修正

カテゴリ
SF (28)
RSSリンクの表示
リンク
ブログランキング
FC2 Blog Ranking
にほんブログ村 にほんブログ村 本ブログへ
検索フォーム
タグランキング
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

サイドバー背後固定表示サンプル

サイドバーの背後(下部)に固定表示して、スペースを有効活用できます。(ie6は非対応で固定されません。)

広告を固定表示させる場合、それぞれの規約に抵触しないようご注意ください。

テンプレートを編集すれば、この文章を消去できます。