![]() | ユニクロ帝国の光と影 (2011/03/23) 横田 増生 商品詳細を見る |
アパレル業界で日本初のSPAを実現したユニクロ。リーマンショック時にも業績を伸ばした同社の裏には何があるのか
訴訟を起こされている割に、さもありなんという内容だった
ユニクロの日本における革新性を評価していて、必ずしも「闇」だけを取り上げるものではない。SPAとは、「Speciality stare retailer of Private label Apparel」の略で、日本語では「製造小売」と訳される
従来はメーカー→卸→小売の段階で各業者が分担し、原料調達などに商社が絡んでいた。これを製造から小売まで全て自社で行うことで、中間のコストを大きくカットできる
この手法でアメリカのGAPが90年代で業界トップに上り詰め、それを日本で目指したのがユニクロなのだ。これにより高品質で低価格のカジュアル衣料品が、日本の常識となった
本書ではその功績を認めつつ、柳井正への直接取材とその経歴からワンマン経営の源泉を探り、中国の協力工場への脚を運んで苛酷な生産現場の状況も明らかにする
元社員が告白するユニクロの労働環境はたしかにブラックではあるものの、全体的というよりも店長とそれに準じる社員に集中していて、外食産業ほどの悲惨さはない。中国の生産現場もグローバル企業が抱える問題と共通するものだ
ユニクロ特有というより、業界全体の傾向がラディカルに現れていると感じた
柳井正は、山口県宇部市の実業家に生まれた
父・等は、ユニクロの前身となる「小郡商事」や喫茶店などを経営し、地元のヤクザ・一松組と建設会社を立ち上げて、町の顔役というべき存在だった(柳井本人がインタビューであっけらんかんと話している)。息子にとって恐ろしい父親であり、会社を継ぐまで振り回されたようだ
ゼロからの創業ではなく二代目であり、低価格へのこだわりなど小郡商事の特徴がそのままユニクロの社風につながっている
一つの店舗から出発した創業者は拡大一辺倒のワンマン経営になりがちだが、柳井自身はその弊害を自覚し、それなりに試行錯誤している
他業種から人材を積極的に登用し、2002年には常務の玉塚元一に社長職を譲り、集団指導体制を取った
しかし業績が改善されたのに、2005年に玉塚社長を解任。柳井は「安定志向」に陥ったためとする。著者は具体性がなく、まるで精神論と批判する
ダイエーの中内功、日本マクドナルドの藤田田を尊敬しつつ、その轍を踏むまいとするものの、他人に会社のイデオロギーが汚されたくないという気持ちが先立ったのだろうか
こうしたワンマン経営は各店舗へも影響しているようで、地域をしきるスーパーバイザーは店長に、店長は社員に、社員は準社員やアルバイトへ、厳しい上下関係を作る
柳井自身は「マニュアルは原則で、仕事は現場に則して」と著書に書くが、部下たちはマニュアルの細部にこだわり過ぎて、末端では「まるで軍隊みたい」という声が上がっている
特に店長には、多くの仕事が割り当てられていて、マニュアルに少しでも外れるとスーパーバイザーから厳しく咎められる。苛酷な残業からも割りに合わないと、優秀な人間ほど辞めてしまい、今ではキャリア作りのために入社する人間も多いという
店舗数の急増から、社員を速成教育するためにマニュアルに頼る傾向は外食産業にも多く、規制緩和から全国チェーンに育った会社にありがちなパターンだろう
ただし人件費を減らすため、働く時間によって待遇を定め、末端の残業時間を細かく管理するところは合理的で、外食産業よりはまともだ(そうした管理のために店長は鬼のような状況に陥るが……)
著者はアパレル世界一のZARAを持ち出して、少量多品種、国内生産重視、正社員率の高さを褒め称えるが、製造業発の同社と歴史も違うのでなんともいえない(低価格を本当に辞めると、国内のおっさんが離れてしまいそう)
店舗と売り上げが伸びる割に、利益率が鈍化しているのは確かなので、ポスト柳井体制で路線転換できるかが今後の鍵となるだろう
![]() | ユニクロ帝国の光と影 (文春文庫) (2013/12/04) 横田 増生 商品詳細を見る |