1936年、スターリン体制下のソ連。マルーシャ(=インゲボルガ・ダグネイト)の実家に、かつての恋人ドミトリ(=オレグ・メンシコフ)が訪れた。マルーシャはすでに赤軍の英雄コトフ大佐(=ニキータ・ミハルコフ)と妻となり、ナージャ(=ナージャ・ミハルコフ)という娘もいた
先に『戦火のナージャ』を観ていたので、その作風の違いに驚いた
舞台はロシアの田舎、保養所のような邸宅とその周辺に限られており、物語もマルーシャを巡るドミトリとコトフの三角関係とまるでオペラのようだ
時代がスターリン体制下で、1936年は大粛清たけなわ。それが終盤に絡んでくるのだが、映画の大半は、地方ののどかな時間が過ぎていく
音楽家を父にもつマルーシャの実家には、インテリ、芸術家たちが集い、歌を歌い、踊り、食事を楽しんで日常を終える。川辺でバカンス中に、民間防衛隊が対毒ガスの訓練を行ったり、コトフの名前がついた「レーニン少年団」があいさつに来たりと、当時のソ連社会の行事も興味深い
畑が軍の戦車に荒らされて農民が怒るとか、運送屋の届ける村がないなど、社会主義の農民への敵視政策もそれとなく描かれていく
そして、何よりもナージャが可愛い!
『戦火のナージャ』の印象から、コトフが一方的な犠牲者と思っていたが、まったく違った。ドミトリにはドミトリの事情があった
ドミトリは音楽家であるマルーシャの父の生徒だったが、彼女の父=師匠が死んだ後に国の命令で海外の仕事を命じられた。それにはコトフが関わっている
そして、父の後にドミトリと別れることになったマルーシャは自殺未遂を起こす。そこへコトフが現れて口説き落としていたというのが真相なのだ
ドミトリが外国に行っている間に時は流れ、いつしか秘密警察の一員になっていた。彼こそが、体制に帰る家、恋人すら奪われた犠牲者だったのである
そして、帰ってきた目的はコトフを反革命の罪で逮捕すること。ドミトリが動き出すと同時に、作中で作られていたスターリン記念日にちなむ気球が上がる場面が印象的。体制の被害者による復讐なのだ
かといって、復讐は何も生まない。最後に字幕でコトフは射殺され、マルーシャも収容所で死亡と告げられる。ナージャだけが収容所で生き残った触れられる
ドミトリ自身も、血まみれの風呂からクレムリンを眺めて一生を終えるのだ(冒頭に拳銃をいじる場面が、ここにつながるとは)
ん? ということは続編はこの時点で想定していなかったということか。主要人物は全員出てくるのだから
http://www.tufs.ac.jp/blog/ts/p/nukyoko/2011/07/post_33.html
このサイトさんによると、映画の原題「Утомлённые солнцем」は「太陽によって疲れさせられた人々」が正しいとか
その代表格はドミトリで、彼が主人公なのだ
https://inagara.octsky.net/taiyouni-yakarete
DVDの字幕では要所に流れるタンゴ「疲れた太陽」の歌詞が、「偽りの太陽が昇り始める」となっている。こちらのサイトさんでは、それは製作国でもあるフランスのタイトルから取っているとか。もちろん、この太陽とは「共産主義」のこと
外国語は英語はおろか、てんでダメなので、勉強になります
次作 【DVD】『戦火のナージャ』