スペイン内戦でなぜ、若者たちは戦場へ行ったのか。国際旅団の志と内戦の実態を描く
ゲーム分室でこっそり『HOI4』も始めたので
スペイン内戦は1936年に軍部を中心とする保守派のクーデターから始まり、民主主義対ファシズムの前哨戦として知られる。本書は作家ヘミングウェイやジョージ・オーウェルなども参加した義勇兵の「国際旅団」に特に焦点をあて、寄り添う形で内戦を展望していく
国際旅団はコミンテルンの「人民戦線」、共産主義者だけでは手薄なので、違う理念の集団を包括する組織を受け皿に用意する戦略が大きく影響していて、様々な国の人々、アナーキスト・共産主義者(ソ連派・反スターリン派)・自由主義者が集められていた
著者が国際旅団に熱い視線を向けるのは、おそらく青春時代の学生運動と通じるものがあって、それぞれ違う志向をもつ者たちがひとつの目的のために団結し青春を捧げるという光景に既視感か羨望を感じるからだろう
しかし、国際旅団はその活躍が報われることはなく、悲惨な顛末をたどる
1.日本人唯一の義勇兵、ジャック白井
日本人として知って良かったのは、一人はジャック白井という、日本人唯一の義勇兵。北海道生まれの彼はアメリカに渡って、ニューヨークで料理人として生計を立てる。そして、共産主義のサークルに関わり、最初の義勇兵第一波でスペインへ渡った
しかし、ブルネテの戦い(1937年7月)で戦死。アメリカでは無口だったが、スペインでの彼は子供好きで戦友たちにも好印象だったようだ
そして、もう一人の日本人がスペイン公使付武官の守屋精爾中佐。日本は1937年1月にスペイン共和国と断交し、フランコの叛乱軍を正式政府として承認。観戦武官から作戦武官に格上げした守屋は、ドイツが第二次大戦で得意戦法とした「電撃戦(ブリッツクリーク)を採用に関わり、叛乱軍の攻勢を成功させて「オペラチーンデ・モリヤ(守屋作戦)」と呼ばれたという
この戦果を讃えられて、日本は鹵獲されたソ連製兵器を無償で持ち帰れたとか。後の枢軸陣営入り、日独伊三国軍事同盟の布石がここで打たれていたのである
2.ソ連共産党の指導
スペイン内戦で共和国を支援するのが、ソ連のみという情勢で、共産党が少数派にも関わらず主導権を握るという、歪な体制が内戦を不利にしていく。雑多な「国際旅団」を指揮したのは、ソ連赤軍の将校であり共産党の政治委員だった
イギリス、フランスは先進国同士の衝突を嫌ったことから、スペインへの他国の介入を防ぐ「不干渉委員会」で独伊の言いなり。当初は義勇兵を快く送り出したものの、注文がつくと国境を閉ざし、厳しいピレネー山脈を越えねばならなくなる
それでいて、独伊は委員会のことなど無視して、支援するのだから差はつくばかりだ。そもそもフランコの叛乱軍本隊は海軍が共和国派であったから、モロッコからスペイン本土で渡れなかったのだが、独伊の航空輸送で本土の作戦を展開しえたのだ
素人の国際旅団は戦場で初めて銃をもつ状況で、健闘するも常に多大な戦傷者を出す。叛乱軍の攻勢を前に国外からの補充すらままならなくなると、「国際旅団」なのに現地の新兵が多くを占めるようになった
この実態をもって、1938年10月に国際旅団は解散となる。表向きは独伊の干渉を和らげる意味はあったが、実際にはソ連がドイツに接近する外交政策の転換があった
スペイン共和国と国際旅団は世界から見捨てられる形で終わったが、フランコ体制が終わり民主主義が根付いた今は、それが高い評価を受けている。初出の1992年にはまだ、内戦を戦った兵士たちが生きていて、華々しいパレードも行われたようだ
本書は純粋な研究書ではないし、共和派に肩入れして共産主義に甘い部分はあるのだが、「国際旅団」の立志伝として語り継ぐ役目を果たしている
*23’4/12 加筆修正
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