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【DVD】『ロリータ』(1962)

原作の小説は“ロリコン”の由来となった




大学の仕事のためアメリカにやってきたハンバート教授(=ジェームズ・メイソン)は、下宿先で美しい少女ロリータ(=スー・リオン)に一目惚れする。彼女に近づきたい一心で彼女の母親(=シェリー・ウインタース)とも結婚し、家庭生活をスタートさせるが・・・

登場人物は少ないが、修羅場の連続で飽きない。最初はユーモアに富んで楽しそうなんだけど、要所ではハンバートと母親、ロリータががつんがつんとやり合う
ドラマの展開の仕方が予想に反して転がっていくし、時間が長くてもずっといいテンションを保っているのだ。構成が秀逸なのだろう
ハンバードは一見知的だが、普通のせこい男。大それたことはできない。ロリータへの欲情を隠しながら、父親然として振る舞う
しかし、女の方は二手三手上を行っていて、非常に情けない結果になっちゃうのだなあ
それがまた絵になるのである(笑)


権威的なロリコン

一般的なロリコンのことはさておいて、この映画のハンバードの情けなさというのは、まずロリータに素直に告白できないこと。映画終盤まで劣情として持ち続けていく
ロリータ自身は、ハンバードが全面的に嫌いではなかった。この結末は大人のプライドを振りかざして続けた結果なのだ
ライバルである“あの男”は、少なくとも彼女にそういう態度を示さなかったに違いない
そしてもう一点が、ロリータに勝手な女性像を押しつけていくことだろう。彼女への束縛の仕方というのは、ただ男が近寄るのを禁じるだけじゃなくて、ある種の価値観を求めているように感じる
対等の付き合いではないのだ。そりゃ当然、女性から拒否されるわけだわな

なんであんな男を好きになると思うが、この不条理こそが色恋だろうし、人生、大きく言えば人の世なんだろう
どうしてこうなった♪」ということこそがむしろリアル。それを感じさせてくれるいい映画だった




【DVD】『バリー・リンドン』(1975)

キューブリックは本当はナポレオンの映画を撮りたかったのだが、予算の都合でサッカレーの作品になったらしい




舞台は18世紀のヨーロッパ。アイルランドの平民レドモンド・バリー(=ライアン・オニール)は、色恋沙汰から故郷を追われることになり、行き当たりばったりの流転の生活を送ることになる。しかし、プロのギャンブラーと各国を巡るうちに、美人の女子爵レディ・リンドン(=マリサ・ベレンスン)と出会い千載一遇のチャンスが訪れるのだが・・・
一介の貧民が徒手空拳でイギリスの階級社会に挑むのだが、余り熱い物語にはなっていない
なぜかというと、主人公レドモンドがどうにも突き抜けない男だからだ
機転は利くし喧嘩も強いが、それほど強烈なハングリー精神を持っているわけでもない。成り上がり方にしても他人のふんどしで転がり込んでいくだけ。悪事や放蕩もするが、かといって悪党にも成りきれない中途半端な男
突き抜けられない男がやっぱり突き抜けきれませんでしたという話なのだ

三時間近い映画で、文芸映画らしく淡々としている
余り起伏がなく同じペースで続くので欠伸が出そうだが、それを補って余りあるのが映像美
キューブリックの徹底したこだわりで、18世紀のヨーロッパを再現されていて、蝋燭の照明だけで撮影するためのレンズをNASAまで求めたという逸話が残っている
イギリス陸軍など各国の軍が行進するシーンは風景もさることながら制服がキレイで脳汁が出る
当時の戦闘も忠実に再現されており、敵が銃を構えているところを射程圏まで整然と行進し、味方がバタバタ倒れて行進するところは悲惨を過ぎて滑稽に見える『Cossacks』というPCゲームを思い出してしまった
そういう華々しい(?)戦闘の裏で、一般庶民が容赦なく徴収・略奪され、ときには年端の行かぬ青少年が兵隊の補充のために連れ去られるなんて光景もしっかり活写している

退屈しないもう一つの要因は、個性的な登場人物たち
最初に決闘するグイン大尉に、追いはぎ親子賭博師バリバリレディ・リンドンの前夫レドモンドをカモろうとする貴族たち・・・どれも癖のあるキャラクターたちで登場シーンで少なくても印象に残る
もう少し彼らのキャラクターを活かして楽しく見せてくれてもらいたかったが、まあ原作に忠実であることにこだわったということなのだろう
台詞は少なめで最小限表情でビミョウなところ読み取る玄人志向で、余りにいぶし銀が過ぎる)
しっかりと原作を読んで「あのキャラ来たぁ~」と萌える映画なのかもしれない
ぜひ原作に触れたいが、岩波文庫でサッカレーって『虚栄の市』しか見たことない…
映画のラストに出てくる書類の西暦が1789年。フランス革命の年だ
平民が貴族を打倒する時代が始まるわけで、平民から貴族になろうとしたレドモンドの努力を皮肉ってるように思えた
ただまあ、今でもイギリスは階級社会が続いているわけで、サッカレーの読みは幸か不幸か外れたようだが


*2023’6/2 加筆修正



『時計仕掛けのオレンジ』 アントニイ・バージェス

言わずとしれたキューブリック作品の原作。アメリカで出版された際には、作者の許可なしに削除され、映画でも扱われなかった最終章が載った完全版だ

時計じかけのオレンジ 完全版 (ハヤカワepi文庫 ハ 1-1) (ハヤカワepi文庫)時計じかけのオレンジ 完全版 (ハヤカワepi文庫 ハ 1-1) (ハヤカワepi文庫)
(2008/09/05)
アントニイ・バージェス

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読んでみると、主人公の不良少年の主観で書かれているためか、謎の若者言葉が混じっていて読みづらい。パッとわかるのは“ハラショー”ぐらいだ。一応ルビで意味は分かるのだが・・・。いわば、それだけ主人公が大人と心通わない言語空間を生きていることが反映されているわけで、演出的には成功しているのだろう
映画と一緒で、彼の気分の多くはとても共感しがたく、不愉快。とはいえ、そう感じるのも自分の子供時分の“痛さ”と少しでも被るからかもしれない
筋としてはほぼ映画と同じ。人類が月で住む近未来という設定ながら、テクノロジーが余り発達していないというのも同じだ。いわば、SFという体裁で社会問題を扱っているスタンス(もともとのSFはそういうもんだが)
ただ、全体の調子としては完全に主人公の主観で進んでいくので、展開は軽快。映画の演出がトリッキーなのはキューブリックのオリジナルだったようだ

アメリカで物議をかもした最終章は、少年が悪友の恋愛を知り、不良を辞めることを決意する大事な部分
ここで作者は主人公に少年の非行問題は永久になくなることはないし、自分も息子の犯罪は完全に止められないと語らせる。どうもこの身も蓋もない正論が、アメリカの出版社を敏感にさせてしまったようだ。今から考えると信じられないが、それだけ当時のアメリカで少年非行の問題が取り上げられていたということだろう
少年の不良時代からの卒業を描いている、とてもいいラストなんだけどねぇ

*2012’08/29 追記

オレンジ→腐ったみかんのつながりで思い出した
アメリカに不良をみかんに喩えるスラングでもあるのかな



関連記事 【DVD】『時計仕掛けのオレンジ』

【DVD】『時計じかけのオレンジ』

スタンリー・キューブリック監督作品。『2001年宇宙の旅』『博士の異常な愛情(以下略)』と合わせ、SF三部作と言われているらしい
近未来を舞台にしているが、テーマそのものは普遍的なものだ(近未来と言っても、公開された1971年にとっての近未来は今より前かもしれないなあ)

時計じかけのオレンジ [DVD]時計じかけのオレンジ [DVD]
(2010/04/21)
マルコム・マクドウェル、パトリック・マギー 他

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自由放任で育てられ、手がつけられない青年に画期的な“洗脳治療”が施される。その治療法とは、性と暴力に満ちたフィルムを吐き気が催すほど見せ、映像体験と肉体的記憶を関連づけるもの。“完治”すると、自分がそれを振る舞おうとした瞬間に激しい吐き気が襲うようになる
いわば、倫理の問題で片付かないことを、物理的にできなくすることで解決している
もちろん、たとえ犯罪者であっても洗脳することは許されない。映画の牧師の言うとおり、「選択する自由のない人間はもはや人間とはいえない」
と、頭ではすぐ結論づけられるけど、主人公アレックス・デラージ(=マルコム・マクダウェル)はそれを揺さぶるほどの悪行を見せてくれる
映画前半は彼とその一味による犯罪のオンパレード。ホームレス狩りに、強盗強姦、ひいては殺人にまで発展。本当に無茶苦茶やってくれる。映画冒頭の睨み付ける目は悪党そのもの
彼視点で物語は進むけど、正直これほど同情を生まない、感情移入を受け付けない主人公はいないだろう
人並み以上の狡猾さを持つ彼が、果たして刑期を終えて更正してくれるかどうか

しかし、被害者なり一般市民から見ると、彼が完全な“治療”を受けて「善人」で出所してきても、とても受け入れることはできない。実際に、アレックス君は以前虐げた人々に報復を受ける
刑罰には、その人の更正を目的とする「教育刑」という考え方があるけど、犯罪というのは当事者だけでなく社会に与える影響も考えなければならない。よって刑罰には「応報」の要素がともなってくる
この映画のテーマの一つには、「教育刑」、その背後にある社会主義に対する異議があるようだ
彼が治療を受ける光景はなんとも奇怪なもの。人をもの扱いだ。完全な善を作りだそうとする行いが「全体主義」的な管理社会を生んでしまうジレンマを描いたといえるのか

正直、目を背けたくシーンが多く、とてもオススメしにくい作品。文字通り、女性のフルヌードが出てくるが嬉しくなる出方ではない。しかし妙ちくりんで中途半端な近未来描写と演劇的な芝居と軽やかな場面展開、そしてBGMのクラシックが見ているうちに嵌ってくる。これほど人が見たくないものを最後まで見せてしまう監督はやはり天才なんだろう続きを読む

【DVD】『フルメタルジャケット』

「地獄だぜぇ」のAAの元ネタ

フルメタル・ジャケットフルメタル・ジャケット
(2008/06/11)
マシュー・モディーンリー・アーメイ

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スタンリー・キューブリック監督によるベトナム戦争を題材にした映画。1987年公開だが、前年に公開されたオリバー・ストーン監督の『プラトーン』と内容が被ったために、オスカーを逃したらしい
一応、視点となる新兵“ジョーカー”がいるが、誰かが中心となって動いていく話ではない。どこか常に一歩引いて位置でカメラが回っていて、“状況そのもの”が主人公といった感じだ

構成は、海兵隊の新兵訓練とベトナムの戦場の二つに分かれている。特に強烈なのが、新兵の面倒を見る教官ハートマン軍曹。もともと演技指導のために呼ばれた元・軍曹リー・アーメイが、その余りの迫力と罵詈雑言を評価されて大抜擢されたとか。最初の40分間はこの人の罵りとしごきと、有名な行進の歌で埋め尽くされる
海兵訓練は肉体的というよりも、精神的に過酷。人の持っている尊厳を根こそぎ傷つけ、空虚なった精神に兵士としての思想と技術をはめこんでいく。命令されたことをやるだけの機械のような兵隊を育てていく光景はまさに洗脳だ
“ジョーカー”と懇意だった新兵が起こす惨劇には茫然・・・

ベトナムに舞台が移ると、明るい音楽とともにムードは少しましになるが、クールなシーン構成はそのまま。“ジョーカー”は報道部に配属されるが、取材先で戦争の現実をまざまざと見せつけられる
もっとも何が本当に起ったのか、何が真実だったのか見ていて判然としないところもある。それが返って、ベトナム戦争の泥沼をうまく表現しているように思える
途中、従軍記者(軍の広報か?)が兵士をインタビューするシーンが挿入されていて、数人の兵士が戦争について語る。それぞれが断片的に並べられ、これもまた話が脈絡をえない。各兵士ごとに“戦争”の見え方が違って、はっきりした答えは出てこない。戦時下のなかの一個人からは、全体は誰も把握できないということなのか

カメラはいつも一歩引いた視点で回っているが、あくまでそこのいる人間と同じ視点に立っていて、“見えない状況”を見せてくれる。いわばドキュメントに近くて「見えてこないリアル」を感じさせる
クライマックスには一応、戦闘シーンが用意されているが、ヒロイックな要素は一切ない。一人の狙撃兵に部隊が振り回されたあげく、その狙撃兵の正体は・・・
2時間の映画だが、一つ一つのシーンが強烈。見ていて寒々としてしまうところが多いが、それだけに強度のある反戦映画になっている

*2013’4/10 大幅に編集、割愛


関連記事 『戦争における「人殺し」の心理学』
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