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『第三の嘘』 アゴタ・クリストフ

いろいろ、ちゃぶ台が返る




国境を越えて亡命した“リュカ”は、30年の月日を越えて自由になった祖国に戻ってきた。別れた兄弟“クラウス”を探しに、出国ビザの期限を越えて居酒屋でハーモニカを吹き、その名残を探す。ビザの期限切れを知られ監獄に入れられるが、本国へ送還される数日前に“クラウス・リュカ”という名の詩人がいることを知る。離れ離れになった兄弟の真実とは……

『悪童日記』『ふたりの証拠』に続く、三部作の完結編
時系列的に三部作の最終章にあたるものの、作品の性質は前作と前々作との違い以上に異なる。前半は国境を越えて亡命したリュカの視点から、後半は祖国に残ったクラウスの視点から、「私」の一人称で語られる。私小説のスタイルになっているのだ
『ふたりの証拠』では、クラウスが亡命しリュカが祖国に残っていたはずだったが、『第三の嘘』ではこれが。リュカは亡命した時に、「クラウス」を名乗ったからだ
そればかりか、『悪童日記』における「ぼくら」は、まったくの一人になったリュカがその孤独の辛さから想像した双子であり、『ふたりの証拠』で書かれたリュカは亡命しなかった自分を想像したフィクションということと判明する
と、地続きの世界観で考えると、衝撃の前作・前々作をひっくり返す最終巻ということになるが、これは多分そう読んではいけない。各作品を一種のスピンオフと捉えるのが妥当で、それぞれの体裁で語られた真実があると考えるべきだろう
この『第三の嘘』というスパイスを加えるか加えないかで、前作・前々作の意味が変わってくるのだ。厄介な作品だが、一粒で二度三度おいしいともいえる


1.リュカの彷徨

『ふたりの証拠』の最後にも、年老いたクラウスが帰国するのだが、それが本作につながるかも怪しい。本作が真だとすると、リュカのヤスミーヌ殺しはフィクションとなるからだ
それはともあれ、リュカは冷戦崩壊で自由になった祖国へ戻り、本当の自分を語り始める
リュカには、実際にクラウスという双子の兄弟がいた。しかし、母が別れ話を切り出した父を射殺するというトラウマな事件に遭遇し、しかも流れ弾に当たって足が不自由になる(『ふたりの証拠』リュカが障害児のマティアスに執着したのは、昔の自分に見立てたからだろう)
リュカはリハビリセンターに預けられるも、空襲に遭い祖母の家で養われ、ハンガリー動乱(1956年)をきっかけに亡命する


2.断絶が生む時の無惨さ

クラウスの方は、父の愛人だったアントニアに養われ、七年後に精神病院から戻ってきた実母と共に暮らし始める。実母は実際にいるクラウスを罵り、怪我を負わせたリュカを理想化して待ち焦がれる
クラウスは別れた兄弟に複雑な思いを抱えつつも、家庭を作り「クラウス・リュカ」の名で詩を発表していた
そんな状況が続くなかで、自由になった祖国で兄弟が再会する
リュカはクラウスを発見するが、クラウスはリュカを認めない。クラウスはリュカが死んだことを前提に続いてきた環境が崩れることが怖いのだ。リュカはただ己が書き続けた帳面だけを渡して、街を去る
亡命した人間にとって、故郷は昔の記憶のまま理想化されるが、実際の故郷はまったく違う時間を過ごして変わり果てている家族すら、違う生き物のように隔ててしまう時の無惨さが描かれている


3.嘘が生まれた理由

解説によると『第三の嘘』は、アゴタ・クリストフの実体験に一番近い内容らしい
アゴタにはクラウスといういつも共に過ごしていた兄がいて、ハンガリー動乱でアゴタはスイスへ亡命し、クラウスは祖国に残ったという。インタビューでは「ハンガリーに帰郷しても、自分のいた痕跡を発見できない」と告白している
自身の直接的な亡命体験から『第三の嘘』は生まれたのだ。また、『悪童日記』から続編を考えたわけではないが、続編の余地を残していたとも言う。いちおう、それぞれ仕上げた時点で完結と考えつつも、引きずるものが残ったので作られた作品といえる
解説にもまるまる引かれている文章が、三部作の本質を表している。リュカが書店の女主人に何を書いているのか、と聞かれたときの返しだ

 私は彼女に、自分が書こうとしているのはほんとうにあった話だ、しかしそんな話はあるところまで進むと、事実であるだけに耐えがたくなってしまう。そこで自分は話に変更を加えざる得ないのだ、と答える。私は彼女に、自分の身の上話を書こうとしているのだが、私にはそれができない、それをするだけの気丈さがない、その話はあまりにも深く私自身を傷つけるのだ、と言う。そんなわけで、私はすべてを美化し、物事を実際にあったとおりにではなく、こうあってほしかったという自分の思いにしたがって描くのだ、云々。(p14)

これが『悪童日記』でリュカが「ぼくら」を捏造した由縁だろうし、『ふたりの証拠』というフィクションが立ち上がった訳であり、そもそも世界で物語=フィクションが必要となる理由ともいえよう
管理人は吾妻ひでおの『失踪日記』の冒頭で、「リアルだと 描くの辛いし 暗くなるからね」と宣言して、ぶっとんだ告白に及んでいくのを思い出した


*23’6/19 加筆修正

前巻 『ふたりの証拠』



『ふたりの証拠』 アゴタ・クリストフ

辛く悲しい物語




「ぼくらのうちの一人」クラウスは鉄条網を越え、「もう一人」リュカは祖母の家に残った。戦争が終わり一党独裁の体制下で、リュカは野菜と家畜の面倒を見つつ、夜は居酒屋でハーモニカを吹いて生計を立てていた。ある日、不義の子を死なせようとした少女ヤスミーヌと出会い、二人を引き取る。リュカはいつかクラウスに伝えるために、日記を書き続ける

『悪童日記』の続編である
祖母の家に残った双子の片割れ、リュカの視点で、戦後の生活が語られる
双子の祖国は共産主義陣営に組み込まれ、全体主義的体制に支配された。戦争中より生活は安定するものの、当局によって本屋や図書館から読みたい本が消えて行く
父と不義の子を作ったヤスミーヌとその子マティアス、恋人を処刑された司書クララ、アルコール中毒の本屋ヴィクトール、同性愛者の党書記ペテール……リュカは直接実害を被らないものの、作品には社会からはじき出されり、精神生活を抑圧されて病んだ人々が次々に登場する
戦争によって生活と歴史が破壊され、全体主義によって記憶を奪われ意味が押し付けられる社会で、人間が生きたという証明は何によってなされるのか
社会は人を統計としか記憶せず、人が人によって記憶される他ない。リュカは自分の生きたという証のために書き続ける

前作では「ぼくら」で括られた双子は、それぞれリュカクラウスという名前を与えられている
他の登場人物も名前を持っていて、普通の小説に近くなったが、端的に書きなぐられた少年の日記という文体は変わらない。それによって青年になったリュカは、少年時代と同じ澄み切った存在に見せいてて、実はそれが巧妙なトリックとなっている
日記は読まれることを前提に書き残すもので、そこには著者のバイアスが必ずかかる。終盤に他の登場人物がリュカを語るとき、屈託のないような彼の精神がいかに脅かされていたかが明らかになるのだ
もう、なまじのミステリーなどぶっ飛ぶような衝撃である

戦争が終わって生活は安定したが、そこに住む人々の生活は荒廃している
その象徴として、リュカの家の屋根裏には、前作で死んだ母と妹の骸骨が飾られている。リュカは「ぼくらの片割れ」と別れたあと、その欠落を埋めようとするように、ヤスミーヌが生んだ障害児マティアスを受け入れて、自らの子として育てようとする
しかし、その新しい家族を作ろうとする努力は、複雑な人間関係のなか、最悪の形で崩壊する。戦争とその後の統制社会で人々の傷は癒されることなく沈殿していくのだ
はたしてリュカはどこへ行った?


次巻 『第三の嘘』
前巻 『悪童日記』

『悪童日記』 アゴタ・クリストフ

映像化は不可能でしょう  → されてた




双子のぼくらは、ちいさな町に住むおばあちゃんの元に疎開した。近所のおとなたちから魔女と呼ばれるおばあちゃんの家事を手伝いながら、ぼくらは辛さやひもじさに耐えるために特訓をし、起こった出来事をノートにとる。同居する外国の将校と従卒、障害をもつ隣人とその娘、司祭と女中、そして母と父、様々な人と関わって二人は…

ずいぶん前に、富野監督が推奨本としてあげていて購入していた
読んでみると、なるほど監督の作品と重なるものがある
主人公である「ぼくら」は祖母の家に疎開し、外国に占領された街のなかで生活していく。貧困から破綻した生活を送る「兎っ子」や、子どもに鞭打たせる同性愛者の将校女として奔放に生き過ぎる女中の行いを観察し、常識が打ち破られた戦時下の世界、あまりにむき出しに欲望が露出した世界を短編を連ねた手記形式で描いていく
「ぼくら」は自らの内面は深く取り上げないが、傍観者ではない
オリバー・ツイストのように善良な視点キャラではなく、ときにサバイバルとして、ときには少年じみた正義感から悪行を行う。手記形式の観察している部分が長いので、「ぼくら」の下した決断は、峻烈に映って読者に強い衝撃を与える


ウッソのような「ぼくら」

解説の方が作中の「ぼくら」を「個」を確立して凄いと讃えるのに、苦笑してしまった
「ぼくら」は両親と別れ、保護者というより生活パートナーの祖母と暮らすのに、「個」を持たざるえなかった。彼らの「個」は作家の「個」ではなく、孤児の「孤」なのだ
外国に占領されては尻尾を振る大人たちを、彼らは信用できない。戦地で生きることを学んだため、平時の道徳はハナから知らないし役に立たない
断食の特訓のように自らの体で身につけ、感じたことだけを信じる
「ぼくら」はウッソのようにタフで、常に透明さを保って生きていく。もちろん、それは小説的な存在であるからだが、荒廃しきった世界に適応しすぎたゆえの透明であるともいえる
汚いと感じた女中を吹き飛ばす顛末には、ワタリー・ギラのような心境にならざる得ない
母を失い父を踏み越えて別れた双子は、ドイツに象徴される、冷戦で分断されたヨーロッパを表したのだろうか


アゴタ・クリストフ(ハンガリーは名字→名前の順なので、本名クリシュトーフ・アーゴタ)はハンガリー出身で、子ども時代にドイツの占領を経験し、戦後の共産党政権で結婚し1956年のハンガリー動乱でスイスに逃れた
第二次大戦中に疎開を経験し、たいそうひもじい思いをしたが、その時代が「一番幸福だった」と語っていたそうだ
本作は固有名詞がほとんど登場せず、まるで童話のような言葉遣いなのに、写実的な光景が浮かんでくる。創作をハンガリー語で覚えて、フランス語で発表する形となったことが、小説に独特の風味を与えているようだ
徹底して記号で表現して、胸を突く情景を著す。これぞ、小説の極致といえよう
続編として『ふたりの証拠』『第三の嘘』で三部作をなしているそうなので、購入次第読んでみたいと思う


*23’6/19 加筆修正

次作 『ふたりの証拠』



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